Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

久々に。

1か月ほどブログを放ってツイートばかりしてましたが、結局何も変わらずと言ったところでしたね(笑)

今回はF欄卒当事者として、F欄大学を語っていきたいと思います。

Fランク大学が抱える負債

俺の出た大学は偏差値40以下の地方5流大学でした。20年位前は1学年400人ほど、全学年で1200人程度はいたんじゃないかと記憶しています。今では全学年で400人程度、1学年定員が100人という有様です。

自分が推測する範囲ですが、以下の原因が考えられます。

  • 学歴フィルタの餌食になる学生が増え就職率を確保できなくなった
  • 女子学生もしくは入学希望の女子生徒が減少していった
  • 受験生も高偏差値の大学を目指すようになり、F欄は対象外とされた
  • 教授陣の引き抜きにより有望株が有名大学に流出した
  • 少子化の煽りを喰らい受験料収入での学内立て直しがきつくなった

など

少子化の煽りを喰らう→受験生や教授陣が有名大学に流れる→学生を確保できない→知名度がダダ下がり…という負のスパイラルに陥ったことは容易に見当がつきます。中でも女子を確保できないと言うことは、F欄化へのアクセルをベタふみしてしまうのと同じです。俺の時でも女子学生は4分の1ぐらいはいたけれども、今では2、30人いるかというレベルですね。

Fランク大学が抱える負債は、カネだけにとどまらないと思います。一番大きいのは人的資本の縮小化です。定員を少なくして、学生に対してきめ細やかな育成が出来るのならまだいいが、現状は青息吐息ではないのでしょうか。

学生が期待するのは、卒業生の会社とのつながりかと思います。現に慶應義塾大学には長年卒業生が培ってきた人的ネットワークがありますし、それを学生もうまく利用して就職戦線を立ち回っているわけです。残念ながら、Fランク大学でこのような戦略が出来ているところは聞いたことがない。

今やFランク大学が迎えているのは、淘汰の時代です。生き残るための適切な戦略・戦術を見出し、活路を拓いてほしいと言う願いもあります。ここまで来たら少数精鋭かつ緻密な育成に特化するしかないとも感じます。まだ人数的に余裕のあるFランク大学対岸の火事として思わないでほしいです。わがことのように向き合っていただきたい。

今週のお題「わたしの好きな歌」

1990年代、俺はがむしゃらに突っ走っていました。ADHDの衝動性・不注意性とは知らずに必死に走ってきました。迷うこともありましたし、その重圧から泣くこともありました。

高橋ひろさんの「太陽がまた輝くとき」を聴いていると、自然に背中を押されているような気分になっていきました。

もう振り向かないで
君が決めた道は 君しか知らない夜明けに続いてる

この一節は自分にとってものすごい衝撃を受けましたし、編入試験も頑張ることができました。

唯一の後悔は、俺が発達障害を知らずに学生生活を過ごし、福祉の恩恵にあずかることができなかったことです。自分が本格的に障害者福祉を受けられるようになったのは、40歳手前のことでした。

今も迷ってばかりの人生ですが、太陽がまた輝くときが聞こえると当時の自分を思い出してまた歩こうと思い直す日々です。

皐月の終わりに

水曜日は毎度の休み。木曜日は研修、そして今日はかねてからお願いしていた休みで三日も会社を空けてしまった。
来月から頑張らないと。

今日で事業所のアイドルにしてベテランのAさんが有給消化からの退職となり、お別れ会をみんなで開いた。
最初、メンバーが10人程度で済むかと思ったが倍以上になり、イモ混雑になりながら彼女との別れを惜しんだ。
短い時間の中で話すことは限られたが、それでも満足した。
途中、フォトムービーがフリーズするというハプニングに見舞われたが、二回目でうまくいってよかった。

記念撮影を屋外で行った後、室内に戻りAさんと2ショットでの撮影時間に。
その様はまるでAKB48のファンミみたいになっていた…。
帰宅して夕食後、バケツをひっくり返したような豪雨が降り、別れの寂しさが今になってこみ上げている。

随分とご無沙汰さんで

元旦からかなりたってからの更新。
大変筆不精だったなぁと反省。

今日はわりとのんびりと出来てるので、日頃思っていたことを書きますね。

就労移行支援事業はどうなる?

常に危惧していたのは、就労移行支援事業所が社会復帰へのレディネスを
かえって遅らせているのではないかと言うこと。

雨後のタケノコみたいに事業所は出来てはいるものの、利用者に合わせた
支援が出来る事業所はなかなかない。
むしろ事業所が利用者を安い工賃で囲い込んでるように見える。

こうなってしまったのも、就労移行支援事業制度上の欠陥だと俺は思う。
生保や年金ありきじゃないんだよ、会社で働く前に貧困に陥ってどうするんだ。

発達障害などで障害年金がもらえない奴はどうする?
実家に頼るしかなくなるじゃん。

2018年悲喜こもごも

2018年を振り返ればこんな一年だったなと思います。

当事者活動を再開できたことに加え、新聞の読者の声で3度も取り上げてもらえた。
一方、国家試験に挑戦する一方で障害年金申請失敗と忙しい一面もあった…
我ながら急ぎ過ぎたかもしれません。

先日、入社後初めて体調不良で早退してきましたが、ようやく回復してきました。
昨日まで悪心に加え腹下しがあり、本当に大変でした。

来年2月3日には公務員試験障害者選考があります。
倍率16倍の難関をどう潜り抜けるかが大変だなと思っています。
今回の傾向から言うと、精神障碍者が身体・知的の障害者を上回る応募率だということです。

正直、勉強が苦手でF欄卒の俺にとっては無謀と思える挑戦かもしれません。
そうだとわかっていても、俺はやらなきゃいけないんだ。もう願書出しちゃったし。

仕切り直し

先日LEC札幌本校でセルフチェックテストがあったが、あえなく玉砕。

前回の資格試験では、通信教育と教科書の精読でどうにかなっていました。
今回もこれでいけるかなと思ったら、ひどい有様。頭に入っているようで入っていなかった。

自分の非力さを痛感することになったものの、自分の勉強方法を見直すには
本当によかったと思っています。

拳法では信教の自由、表現の自由民法では他人物売買など押さえておくべきことが
山ほど出てきました。一方で主要な判例も押さえておかねばならないし、残された
時間をどう使うか考えていかなくてはなりません。

自分の間違いやわからないことをすぐ調べられるのが、ネットの強みだと思っています。
今回は手ひどい出来でしたが、決して可能性は0じゃないと受け止めなしうることを
やっていきたいと考えています。

なかぽつを挟まなかったツケ

今日は主治医の診察日でした。主治医に10分くらい話を聴いてもらったところ、ワーカーさんとの面談を設けてくれました。

いつものワーカーさんと話しましたが、新人ワーカーさんは立ち会ってノートを取っていました。
1時間ほどの話し合いの結果、なかぽつに入ってもらおうかということでした。

最初と2件目のなかぽつは「管轄外」ということで取り合ってくれませんでした。
3件目でようやく面談の予約を取り付けてくれました。

俺が就職する前に何でなかぽつを挟まないのよって思います。多分、自分らで定着支援をやれると思ったところが、施設のゴタゴタで結局定着支援になってないわけで。

できないならできないで他の施設に協力してもらうなりしろよっていいたくもなりますね。

われ思う故にわれあり

ツイッター上でも宣言している通り、俺はFランク私大の卒業生です。

学問の府としては、悲しいくらいお粗末なところでした。講義中に先生に注意されて逆切れするチンピラもいれば、やおらエンピツをへし折って先生に投げつける奴もいました。これでは、マジメにやりたくても集中力をへし折られることがたびたびありました。

そんな中でも学業を修めることが出来たのは、大学時代の友人あつぽんのおかげです。彼がいてくれたことで、自分の過ちにも気づけたし、自分には仲間がいるという事実を理解できました。彼には今でも感謝しています。

今、また国家資格を目指していますが、今度は法律関係ですので、一からやり直す気分で始めています。勉強を進めてみると、法律を読んでいくための基礎学力以前に、読み方さえもわかっていないと痛感させられました。いきなり六法全書に手を付けて消化不良を起こしかけていたので、今回この本を見つけ非常に嬉しくなりました。

日本一やさしい条文・判例の教科書

日本一やさしい条文・判例の教科書

大学時代にこの本に出会っていればよかったと思うくらいです。六法を読む前に一読するだけでもこんなに負担が違うのかと感じています。皆さんも法律に興味があれば、ぜひこの本から始めてはいかがでしょうか?

今週のお題「表彰状」

自分が表彰されたのは平成26年度の「心の輪を広げる体験作文」で北海道知事賞をとった時くらいです。当時は、自分の思いを形にしようと必死になっていたのかもしれません。

俺は自分の生きざまに加え、支援者への感謝の思いをちりばめただけのことです。当時の内閣総理大臣に伝わらなかったのが少し残念ですが、北海道知事の目に留まったことだけでも励みになります。

一番長い支援者とは10年来の関係があります。表彰状を差し上げられるなら、彼らに差し上げたいと思います。