Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日で無事故777日達成

今日は仕事でした。山ほど仕事がありましたが、全員で協力して何とか終わらせました。
俺の分は終わったけど、他の人はまだまだあったりするので気が咎める部分もありますけど。

無事故カウンターを見るとなんとスリーセブンですね。
これにはびっくらぽんですわ。

車や重機の運転を生業としている人たちからしたら、俺の無事故はどうってことないかも
しれないとはいえ、俺の中では偉業です。基本的に週1回くらいのペースで運転するので
全く無関係ではありませんし。

自動車保険も無事更新できたので無事故を重ねて、等級が上がればいいなぁと思います。
1等級の時は本当にヒヤヒヤもんでした。これ以上事故ったら保険会社も補償できないと
まで言ったくらいなので。

気を緩めず無事故1000日もいければいいなぁと思います。

俺が去ったあとに

先日、施設時代の仲間に会いました。逆風下で悪戦苦闘しながらも何とかやれている
様で安心しました。

利用者たちも著しく成長を遂げ、請負作業を連携してがっちりやるチームワークも
見せるようになったとのこと。中には職員の補佐を担当する利用者も出てきたようで
びっくりしました。俺の時は施設外実習に行くしかなくて途方に暮れていた有様。
それを考えると内心うらやましくもなりました。

もし、俺が今の体制でずっと施設にいたらどうなっただろうか?
多分、居心地が良すぎてしまい施設にずっといただろうし、就職したとしても
里心がついて駄々をこねる始末だったろうと思います。
こんなことを想像すると、今の選択肢がまだましなのかもしれません。

企業への就職はゴールじゃないし、通過点。だからこそ、再起に向けて取り組み
たいんです。俺は劣等感を人一倍感じやすいが、こんな俺でもうらやましがる
人はいるんだと考え、働いている最中です。コミュ障だからマジで人間関係が
辛いし、お局一派から露骨に嫌われるし。

こんな現実に出くわせば、施設がいかに恵まれているかと感じます。

今日は快晴のやすみでも

相も変わらず差がはっきりした一日でした。

北海道5区補選の投票に行く一方で、ドライブに出かけ買い物などをしてきました。
ついでにお世話になった職員さんが勧めてくれたラーメン屋でおすすめのラーメンを食べてきました。

ぱいたん塩ラーメンは優しい味がしました。コクがあってまろやかとはいえ、あっさりしている。こんなラーメンを食べたのはらーめん赤星以来のことです。

気になった方はここら辺をチェックしてみて下さいね。

4連勤後の休み

今から10年ほど前、ブラック企業で働いていました。当時は今以上に体力があり輪をかけて負けず嫌いだったので、心が折れるまで約4年、地獄のような日々だったと記憶しています。繁忙期には公休は月4回、10連勤は当たり前。閑散期には不必要に休ませようとする意地汚さは今でも許すことはできません。

今は発達障害の診断を受け障碍者枠での勤務につき、週1日だけ固定休とし他の1日は火曜日か金曜日のいずれかに休む変則週休2日制という決まりになりました。慣れるまで大変でしたが、件の職場に比べれば本当にマシかと思います。今では4連勤が最長とはいえ体がかなりキツいです。

せわしなかったりゆっくりしたり

今日は朝から昼までが忙しかったですね。自立支援医療受給者証の更新関係書類を入手したり、マイナンバーカード受け取りの事務手続きで市役所庁舎内を行き来していました。ディーラーにタイヤ交換をしに行ったその足で、明日の昼食の買い出し等で隣町に行くなど慌ただしかったなぁと思います。

昼過ぎに用事が済んだので、久々にマジアカをやりにゲーセンに赴くことに。1クレ50円で8クレやりましたが、なかなか重要アイテムが手に入りませんね。難易度が大凶だからでしょうか?何度か単独誤答で宝石賢者さんの足を引っ張ってしまい申し訳なく思います。2回も学長を倒せて溜飲は下がりましたが。次のシリーズでもカスタマイズアイテム等は引継ぎできるらしいので、折を見て新作をやってみたいですね。

去年の今頃は

施設に通所して4年目を迎えようとしていました。全幅の信頼を置いていた就労担当職員が前年度末を迎える前に退職してしまい、意気消沈して就活もどうでもよくなっていたのではないかと記憶しています。

施設外実習も兼ねた週3回のバイト先では、スキャンすべき文書もだんだんなくなってきて、jw-winの基本操作で建築士の製図準備をやっていました。接客や電話対応などやることも増え、マルチタスクを余儀なくされるといよいよ疲れてきてミスも多くなり、上司がブチ切れることが出てきました。それでも、PC作業の手が足りてないのか他の部署から依頼されて作業をやることもありました。

週2日の施設通所になると、居心地がよかったんだろうなと思います。職員も配慮してくれるし、利用者も社会になじめなくて不自由さを感じているからどこかで共感できる部分があったわけで。それでもウマの合わない人はいましたし、たびたびキレてました。今では、自分の社会に対する認識が甘かったんだろうなと感じます。

俺は当時の問題を可視化して対処するのに、4年ほどかかりました。

施設が居心地がよすぎる上に、一般社会より閉鎖的なこと。
極めて限られた施設外実習先以外に、実習先を見つけるのが困難だったこと。
パソコン訓練を受けても、結局ブラインドタッチ程度の技術しか身につかなかったこと。
福祉の面でも、発達障害であるゆえに不十分な福祉を受けざるを得ないこと。
…など。

結局、妥協するしかなかった。今は施設でやってたことはほとんど活かされてないと感じるし、むしろ一般社会で労働力を提供して安くても賃金を得る経験の方が実学的だったかなと思います。施設で学んだことは少ないかも。嫌な奴がいても、文化や価値観が違うのだと思うしかないってことですね。あと、似顔絵の描き方かな。

来春どうなるかはわかりませんが、鬼以上に俺が笑っていられるようになりたいと考えています。

上司の入れ替わり

俺の元上司は明日から他の支店で働くことになります。すぐに異動先に向かえなかったのは、新しい上司との引継ぎがあるためです。

新しい上司は20代と実に若いですが、管理職としての獅子奮迅ぶりを本部から見込まれての抜擢となりました。上司の交代で俺が極端にやりにくくなることにはしないでもらえたにせよ、関係性を作るためにこちらも一がんばりしないといけません。発達障害のことも聞いてはいるでしょうけど、改めて説明する必要もあるのではないかと思います。

元上司との4か月

4か月というのは上司のキャリアからみれば短い期間かもしれません。しかし、俺にとっては必要な時間でした。コミュニケーション不足もあったとはいえ、比較的負担の少ない形で仕事をさせてもらえたと思っています。

俺の二次面接で上司が人事と二人で行っていましたが、緊張してもにこやかな態度でこちらの緊張をほぐそうとしてくれたことは今でも思い出に残っています。異動と言っても車で行けばすぐのところにあるので、顔を出しに行くつもりです。

今まで本当にありがとうございました。

就労支援施設と定着支援にまつわるエトセトラ

入社してから最近までずっと人間関係がうまく築けなくて落ち込むことがかなりありました。今では仕事の話しかしない人がいても事務的にやりすごそうと考えを改めることにしました。

施設側は入社2か月くらいまで合間を見て面談や職場訪問の機会を設けてくれました。しかし、人事のゴタゴタや利用者のケアとの兼ね合いもあって、俺の方から遠ざかろうと決めました。俺が施設に赴くことで知らぬ間に利用者を刺激する可能性はあり得ます。

利用者を就職させたらそれでオシマイという一方通行ぶりが常態化していると思います。最終的には自分でやれるようにした方がいいんです。入社してばかりの期間でつまづいてしまうとそれが尾を引きやすいからこそ、本人が課題意識を持って取り組んで働くように仕向ける工夫が必要ではないでしょうか。

自治体の精神保健課あたりが公表している障碍者雇用向けDVDのように、職場の人間を交えて情報の共有ができればどんなにすばらしいか。現実は、利用料を支払う当事者が優先となるから、一度施設を出てしまえば一方的な「自己責任」として片づけられるのです。

たとえ法律で施設の業務に定着支援が含まれていても、定着しがたいものであればおおっぴらに出さないでほしい。大手の施設が人やカネを動員して定着支援までがっちり行えてしまうのかなと思います。俺の目にはそう映ってしまいます。

さらに、就労支援施設で利用者が循環せず、むしろ古くからの利用者が滞留している現実もある。この事実も定着支援のノウハウが姑息的になってしまっていることの表れ。養成機関の講義で方法論は学んでいるけれど、人間同士のコミュニケーションに裏打ちされてないから、形骸化しつつあるのかなと感じます。どんな支援でも信頼関係がなければ奏功しない。

施設を卒業しても寄る辺なさを感じてしまうのであれば、定着支援にはもう期待するのはやめようかな。今までどうもありがとう。さらば、わが学び舎。

春は別れの季節ともいうが

異動のゴタゴタなどもあり、少し遅れての歓送迎会をやることになりました。
業種やシフトの特殊性などのために、参加者集めに苦労したこともあるようで。

俺は職場ではきわめて限定的な人間関係を作らざるを得なくて当日は
黙っていようと思いました。

超体育会系の職場に紛れ込んでしまったと痛感したのは、飲み会での
ノリでした。仕事の苦労話ならまだしも、自慢話を聞かされるのも
かなりしんどい。

俺はがぶ飲みして先につぶれていようかとも思いましたが、飲まなきゃ
やってられなくてチビチビとカクテルなどをすすっておりました。

今後関係を作るべき人たちとの糸口をつかめたことだけは救いなのかも
しれません。

俺が一つだけ注意していたのは、会社の人間と飲むのも仕事のうちと
いうことでした。

俺がおかしいのか?周りがおかしいのか?

大企業では社歌や社訓を朝礼で唱和すると聞きます。ホテル界の雄、
リッツ・カールトンでもコレド・カードを従業員が持ち歩き、経営
理念などを忘れないようにするそうです。

全国、全世界に拠点を持つ組織になってくると、経営陣との意識を
統一させるために朝礼での唱和は欠かせないのでしょう。
理念の携帯とか。

俺は今まで日本という国の定型から半分外れた生き方をしてきた
ためにそう思うんだろうな。

俺の職場では経営理念の唱和を毎朝行います。
これもルーティンの一部なんだなと納得させつつやりますが、
いざ考えてみると某宗教法人の会合のような雰囲気を感じます。
特に全体で唱和する音の響きをさらってみてもね。

モヤモヤした感情を抱えつつ検索してみたら、こんな記事に
たどり着きました。経営者向けではありますが、一度は読んで
みることをお勧めします。

www.growing-labo.com

俺の思いが間違っていなければ認めてくれるとうれしいです。
もちろん、違うのであればそれは当然だと考えます。

narutoさんへのリプも兼ねて

どうしても、リプが長くなるので、ブログの記事も兼ねて返答させて
いただくことにします。

narutoさん、こちらこそはじめまして。

お子様が専門学校に通いつつも、ご自身の障害と向き合ったうえでの
就職はかなり大変かと思います。

その難儀さを少しでも減らすために個人的には障碍者手帳を申請して
障碍者枠での就労が望ましいと思います。

障碍者雇用での「障碍者

ハローワークや某サイトにおいて「障碍者雇用」と謳って採用する場合、
企業*1障碍者手帳のコピーを確認のために要求するわけですよ。

厚労省のサイトでも障碍者雇用においてカウントする「障碍者」の
範囲について、各障碍者手帳を取得している者としています。
これは雇用率の計算等で便宜上使うための定義かもしれませんが。

現に一般枠で生きにくさを抱えながら働いている人もいるわけですが、
診断書の確認だけで雇う場合、おそらく条件付きの非正規雇用となる
のではないでしょうか。参考にまでリンクをつけますね。

www.mhlw.go.jp

このような見方が国でなされているとなれば、企業も法定雇用率2%を
満たすために障碍者手帳のある人間を雇うのは当然の流れだと思います。

結論は、原則として手帳所持者が障碍者雇用において「障碍者」と認識
されやすいということです。

参考までに障碍者雇用の歴史という記事も紹介しておきます。

www.atarimae.jp

俺としても何とかソースを探ったり思考を整理したりしましたが、
お役に立てれば幸いです。

*1:この場合の規模は従業員50人以上

3月も終わりへ

3月もあと1日少々で終わる中、今日休みを頂きました。

本当はせわしない自宅からすぐに飛び出し外でのんびり
したくても、家の手伝い等の都合でままならないことが
続いてしまいました。

何とか抜け出して、整骨院で整体してもらいその足で
支援センターと就労支援施設に顔を出してきました。

さらば戦友たち

就労支援施設の面談が今日だったのをすっかり忘れて
しまい、担当職員さんに言われて気づくという天然
っぷりを早速発揮してしまいました。今後は確認と
いう意味で面談予約票を作ることになり、これで
少しは解消されるのではないかと思います。

面談を終えてから、いろいろな人と話したかったん
ですが、さすがに利用者さんたちとは難しかった
ようで、何とか合間を見て職員さんに交代で話し相手
になってもらうことにしました。

生活支援センター時代からの支援者さんとは長い
付き合いになりますが退職するそうです。
よくも悪くもケンカしつつ関係性を築くことが
できてよかったです。近況報告や道南トークが
短い時間内でもできたのでいい気分転換になりました。

就労支援施設黎明期の職員さんには、俺が辛くても
喜んでるときにもそばにいてもらえました。
この方の学習能力を含めたデザインセンスには、舌を
巻くほどのものを感じました。苦言も呈されたことも
あったけど「自分の弱さ」をどう転じるかを学びました。
退職してもお元気で。

元SEの職員さんとはパソコン実習等で共に過ごすことが
長く4年ほどお世話になりました。
PCの基本操作からHTMLコーディング、デザインに至る
までいろいろと学びましたが、社会人としてのイロハを
再び教わったと思っています。
本部近くにある就労支援施設に異動となりますが、
お体にだけは気を付けていただきたいと思います。

彼らは支援者でもあるけれど、苦楽を共にした戦友でも
あると考えています。会えなくなるかもしれないけど、
俺はあなたたちの未来が明るいものであるよう祈って
います。

また逢う日まで、ごきげんよう…。