Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

Sitatte札幌オープン! そして札幌でくいだおれ

先日Sitatte札幌がオープンしたことをテレビで知りましたが、中でも銀座の「篝」が進出したことには食指が動いてなりませんでした。

今日のミッションは篝の「鶏白湯Soba」を食べること。朝10時前に札幌に着いたので、イシヤカフェなどでぶらぶらと時間を潰し、三越ショコラティエ・マサールで父に頼まれたホワイトデーのお返し以外に、そして俺の職場でもらった分のお返しもついでに買ってきました。

10時半を回る頃、篝の前に戻り行列に付きましたが、俺の前には既に4人いました。オープンが近づくにつれ、俺の後ろに人が続々と並び始め、調理場も薬味やスープの仕込みで機敏に動き回っていました。

お目当ての「鶏白湯Soba」にありつけ、つい写真を撮ってしまいましたが、影ができてしまいましたね。うーん、残念。

味は完成されてます。濃い白湯に計算され尽くされた味の数々…。繊細でいて力強さも伝わる味です。決め手は黒七味や有機醸造酢などの味変です。一度味わないとマジで損しますよ~。

他にもクレープ、コーヒーソフト、たこ焼き、チョコクロワッサンなど平らげて、2000カロリーは超えてしまいましたね、はい。


〆はポプテピピックカフェ迷物?の「泥水コーヒー」。うまいんだけど、本当に泥水すすってるような感覚に陥るからこわいわ。しばらくはこんな贅沢できないので、節約の日々になるかもです。

久々のブログ

今までツイッターに偏ってましたが、たまにはブログも書いてみようと思います。

会社健康診断の指定日を間違えて現地に直行してしまい、上司には眉をしかめられました。朝一で現地からとんぼ返りしたので30分の遅刻。

原因は自分のメモしまちがいです。指定日を一日早くメモしていたわけで…。なぜこんなことが起きたのか。発達障害のアラが目立ってしまったからです。

転院と言う突然のイベントに浮足立っている中でマルチタスクをやってしまったのがいけなかった。通常の勤務の傍ら、家業の手伝い、国試対策、そして転院準備。さらに入社してから勤怠を維持できていたという驕りもあったのかもしれません。

今日こそ、血圧・血液検査から心電図に至るまで健診を受けてきました。結果は異常なし。不幸中の幸いですね。

最初に発達障害の診断を受けた病院や現時点での通院先は、大人の発達障害を専門に扱っている場所ではありませんでした。次の通院先をネットで見つけて、電話でコンタクトを取るまでかなり難儀しました。1時間かけても話し中で、気分転換に外出した際の車中にて電話がつながり慌てて車を停めた次第です。

20分ほどに及ぶやり取りの末、ついに予約を取り付けることに成功。プラチナチケットをゲットしたように有頂天になりました。生きにくさの解消につながるわけじゃないが、大人の発達障害として俺の障害を見ようとする医者にたどり着きたかったのも事実です。初診は4月中旬になりますが、あまりうかれてもいられません。むしろ、これが仕切り直しなんだという思いです。

現在の主治医には3年ほどお世話になりました…と言っても、転院するのは4月ですしね。

この間まで施設でくすぶってたと思いきや、入社して1年ちょっとになるんだなとしみじみ感じます。施設を卒業しても通用しないことばかりの毎日で、何度も辞めたいと弱音を吐いていました。定着支援も卒業となったわけで。

4月で今の病院から卒業するにあたり、いろいろな思い出がこみあげてきて、胸が熱くなってきます。主治医は本当に嫌な奴だったけど、和風美人の事務員さんのおかげで乗り越えられました(おい

クリニックの帰り道に近くのミスドでドーナツを頬張り、その足でゲーセンやパチンコに興じたのもおもしろかったなぁと思います。本当に楽しかったです。

思い出深い街はさまざまな経験を経て、俺の中で出来ていくんだとこの年になって知りました。
嫌なことも楽しかったことも、街と言う名のカンバスで色をつけ景色を描いていくんだな。
子供の頃はそのようなことは微塵も感じなかった。楽しかった記憶しか刻まないようにしていた。

好奇心旺盛な俺は、体の続く限り思い出の場所を求めていくでしょう。

「察しろ」とは強者の恣意的権利

どうも職場でスランプに陥ってしまったようです。マジメにやらなければ仕事が余計片付かないが、結局自分自身が空しくなることの方が多い。

そんな折、こんなツイートを見つけたので紹介します。少々きつめの表現もありますが、ここは原文ママで通しますね。

パワーゲームの勝者たちは大っぴらに「察しろ」と言えるし、察してもらえていることに気づいていない事例がほとんどなのでは。すべからく彼らは傲慢ですし、相手の事情などお構いなし。彼らが本当の試練に直面する時は、敗者に転じて初めてやってくる。気遣いがハナからできる人は、逆に他人と双方向で建設的な関係性を築いていると思います。

ブラック社長らが恣意的権利を振りかざすと、同様に人も離れていくのはうなずけますね。

障碍者雇用の在り方を考える

障害の有無にかかわらず、ある程度の働きやすさが確保される環境なら、障碍者か健常者かで揉めることは減るのではないかと思います。OECDの公式ツイートでは日本の相対貧困率が高いことを指摘しているし、年金をゲットできた人間に対してのスティグマが募っても当然ではないかと感じています。データは若者対老年層の比較ではあるけれど。

この人のツイートからは障碍者雇用の闇を感じてしまう。

発達障害当事者のお子様がいらっしゃるママさんは教育現場における不勉強さを痛烈に批判している。

いくら早期発見・療育ができても支援学校しか選択肢を用意できない行政もむべなるかなと思います。短期的に見て学校の実績になるんだろうが、長期的に見たら「ミスリード」なんですよ。普通学校に通って発達障害で体調を崩して辞めた人もいるくらいです。

俺がムナクソ悪く思うのは、A型事業所が雨後の竹の子みたいに開所している現実。当事者にとっては選択肢が多くていいかもしれないが、施設があまりにも多くてキンタロー飴になってしまっては障害者を行政からの補助金で囲っている状態になるわけでね。さまざまな障害者を集めて施設が成長できるのなら言うことなし。とりわけ就労支援施設では利用者がいつまでも居座るのではなく、社会のどこかで居場所を探したり作ったりする行為がいずれ必要になります。

今になって矛盾が生じ始めているのは、「障害者」と「健常者」がすみ分けをしていたからだと思います。右肩上がりの社会だった日本は資本主義の正当化で見える障害者を中心に金の力で囲ったわけです。見えない障碍者は変人呼ばわりされながらも健常者の社会にしがみつくか、社会から遠ざかるかなどしかできなかった。バブル経済が終わり下がるだけの社会になると、障碍者ヘイトはおろかエセ福祉職員によるヘイトマサカーまで起きてしまいました。障害年金で囲うだけの障碍者福祉を受けてきた当事者は生産性で語られてしまうと身もふたもない。

俺が障碍者雇用で働いても地元ではレアケースらしいとはいえ痛し痒し。障害年金は水際作戦で阻止される上に賃金は時給制だから悩みは山積しているよね。この事実を棚上げして、自己責任にされたんじゃたまったもんじゃない。俺にも我慢の限界ってやつがある。

個人的には、障害に関係なく自立できる社会を望んでいます。「障害者=無能力者」ではなく「何ができて何が生きにくさか」について、行政や企業はもちろん、当事者にもご一考願いたい。労使どちらかの言い分が一方的にならぬように、支援者にはコーディネイターとしても活躍してほしい。

ようやくツイート貼り付け

昨日flash playerとIEを更新したためか、いつもうまくいってたツイッター貼り付けがうまくいかない。連携取り消ししてからまた連携したらうまくいった。本当にてこずらせるなぁもう。

この機会だから心に響くツイートを紹介させていただきます。まずはこれ。

このようなリーダーの下で忸怩たる思いをしたことがブラック企業勤務時にあった。他の社員がやる仕事はできていても、「上司」としての資質などに欠けている。確かに仕事はできるし人の倍以上の働きをしていたが、判官びいきやスキャンダルでミソをつけてしまった若き管理職はいた。職場にいる以上は人の好き嫌いを脇に置かねばならない時は多々ある。それが出来なければ学校のいびつなヒエラルキーと同じ。
まさに上層部の采配ミスと言えるのではないか。

リーダーの資質を少しでも感じた若手に指揮を執らせた方がよいってのも正論。リーダー未経験だと日本では非難されるわけなんだよな。しかし、リーダーに向いてないとかやりたくないって奴にまで無理やりやらせるのも時間などのムダ。年功序列の人事が生み出した弊害って組織を動かしていくリーダーの苗床が不足するって事態なんだね。お飾りの管理職ならショムニの井上課長と同じ。たまに彼のような人もいてもいいけど、多すぎると組織自体が持たなくなるだろう。

俺の経験から言うと、人としての感情を大切にできる人にリーダーになってもらいたい。俺が上司からされて一番嫌だったのは、俺が熱発でフラついてるのに「何チンタラ歩いてんだ、ゴルァ!」と罵声を浴びせられたこと。俺を人間として尊重するのなら、少し距離置かれた方がまだよかった。罵声浴びせるってこと自体、俺を奴隷とか家畜みたいな扱いをしてるんだよね。俺はこの上司を絶対に一生許さない。

自己肯定感の高い人と利己主義者は相反している。自己肯定感が高いのなら、相手の存在も認識したり尊重できる余裕がどこかにあるのではないだろうか。すべての人にそうする必要はないが、合わない人がいても「なるほどー」とうなずいて離れればいいだけのこと。「自己肯定感が高い人(自称)」ってのは、自己肯定感が高いように見えて、あまり高くないのではとも思う。自分に許せない部分が人のどこかに見えてしまうから怒りを感じてしまうんだろう。

自己肯定するのに、人を攻撃する理由がどこにあるというのが俺の思いなんだよな。

他にも、紹介したツイートはありますが、またの機会と言うことで。
俺のツイートはどしどし紹介するのもいいですが、埋め込み先のブログもコメント欄で紹介してもらえるとうれしいです。

新年を迎えて

新年あけましておめでとうございます。
去年は「変」の一文字で潰れかけました。

フラッシュバックの暴走、ジェイゾロフトの追加。
さらに泌尿器系や外科系の薬が増えるなど、相対的貧困の
俺には痛い出費が増えました。

その中でもいいことがいくつかあり溜飲を下げました。

かなしろ先生の新作で取材を受けたことがきっかけで講談社
さんより献本として一冊頂けたこと。
発達障碍者として障害者スピーチマラソンに参加できたこと。
かつての支援者が新しく施設を立ち上げたこと…
など。

今年は当事者活動に時間を割けなくなるけれど、その代わり
夏の国家試験合格に向けてベストを尽くす気持ちで臨みます。

今日、札幌八幡宮まで合格祈願の祈祷に参加してきました。
宮司二人がかりでの祈祷は初めて受けたので、玉串を扱うのも
少し手が震えてしまうほどで。最後は、合格ダルマやおまもり
など一式を頂いてきました。

集中力のムラがずば抜けてありすぎる俺ですが、ナントカ
やりくりしていければと考えています。

今週のお題「2017年にやりたいこと」

まず、国家試験合格ですね。これだけでも実現したら言うこと
ありませんが、合格した暁にやりたいことをかきますね。

  • 1泊2日の国内旅行(ヨロズマートやガンダムカフェなど含む)
  • マイ三味線の購入
  • バリバラに発達障害当事者として出演
  • アタック25予選会参加(常にエントリーあるのみですが)

この4つのうち、さらに一つでも叶ったら2017年は欲張らずに
過ごせそうな気がします。

SOSが出せずにいた自分

俺は他力本願と思えるくらい社会資源を使ってはグチ言ってましたが、その支援者には「あんた、もっとSOS出してくれてもいいのに」と言われてしまいました。

ひどい話、場面緘黙に近いくらい言葉に出せぬまま苦しんでいたのかもしれません。場面緘黙で悩む当事者は俺の想像を超えるほどの苦しみに直面しているとはいえ、自分の思いをいざ職場でフラットな気持ちで言えないのは辛いものです。感情的になってしまいやすいから、最低限のことしか言えなかった。

その自分への怒りは、コミュニケーション強者などへのルサンチマンに膨れ上がったし、それが抑えきれずに物へ八つ当たったのが上司にバレ、今回上司らとの面談を経てクビ寸前の立場にまでなったわけです。次回、同じことをすれば俺は確実にサヨナラです。こうでもしなければ、周りがやりきれなくなるのもうなずけるゆえに俺はこの厳重注意を涙を呑んで受けました。

俺が定着支援に完全に頼れなかった理由は、施設内のゴタゴタで利用者が疲弊しているところにやれ定着支援と気にさせたくなかったからです。前にもあったんですよね。人事のドタバタ劇で職員はおろか、施設への信頼が乱高下しちゃったことが。担当者の一人が年末に退職することでひと悶着ありそうですが、前回のようなことは他の職員にはやってほしくないですね。

体調管理とは

俺は今まで、最低限睡眠と食事がとれてさえおればいいと思ってました。しかし、今回は人間関係での熾烈なストレスにさらされて豚箱行き覚悟でデモやっちゃろうと企図してしまいました。体調管理というのは、字面のみならず、ストレス対策なども含むのではないかと今回の指導から考えるようになりました。

特にストレス対策は大切ですね。いかに、仕事や利害関係者からのストレスを低減するかにかかっています。まったくなくすことはできなくても、ダメージを最小限にすることはできると思います。そこで試してみたのが以下の方法です。

  • 露骨にこちらを嫌ってきても「相手自身の問題」であると考える

人の好き嫌いは尊重してあげましょうと施設職員から教わりました。その応用として、たとえこちらを嫌ったりこちらにだけ違う態度を取ったとしても「相手自身が決めること」と考えるやり方です。

心がチクチクモヤモヤするけれど、こればかりはどうしようもありません。その不快感と向き合い、切りのいいところで人に聞いてもらうなどして軽減するしかないのかなと思います。

  • こちらを嫌ってる相手にまで時間を割くな

時間も体力も限りがあります。死ぬまでの貴重な資源を使う相手がヤバい奴であればあるほど、自分だけが貧乏くじを引く羽目になります。

ごちそうさんのめ以こさんのように、みんな仲良くしようとやってしまうとどこかで爆発しちゃいますよ。怒りと言うものは、多くの場合相手への期待値と比べて、相手がケチってよこしたということが原因なんですね。和枝姐さんは彼女に自分の弱さを投影して怒りの解消をしているだけではなく、西門和枝の弱さが彼女に対して影法師として見えてくるがあまりブチ切れてるのもあるでしょうね。

発想の逆転として「わかってくれる相手にだけ時間を割く」ということもありだと考えています。

  • 転ばぬ杖の先

爆発して取り返しがつかなくなる前に何ができるか。

まず俺は、コミュ強者などとは遠巻きに接することから始めました。プライベートならガチ拒否してこっち来るなオーラ全開にします。…が、職場でそれをしては藪蛇なので、強力なストレッサーといる時間を少なくすることからはじめました。

ドラクエで言う聖水を体に振り掛けたりトヘロス唱えるって奴ですね。エンカウントしてしまったら、チャイルズクエストのノリで行くとたいていは摩擦が少ない。それでもバツが悪い時には、仮病使ってでもトイレに逃げるしかないわけでね。

空気が読めなくても、何となく「ピリピリ」したものを感じたのなら、あいさつ程度に済ませるなどして様子をみることです。

以上の3点に注意するだけでもストレス対策にはなったんじゃないかなと感じます。