完璧な英語とは何ぞや
第三者は英語のレベルがどんなものかを知るためにテストや資格を判断材料に使う。
しかし、「カタガキ社会」の日本では、例えでっち上げでも持っていない資格を
もっともらしく言い通せれば通ることが多い。
文部省はかつて英語教員の英語レベルは「TOEIC700点以上が望ましい」と
言ったが、そんな風に言ったところで集まってくるのは"English nerd"(英語オタク)
がほとんどであろう。いくら英語教師の技能を高め、JETプログラムで外国から
教師を招いても、日本人の根底にある「コンプレックス」を少しずつ減らさなければ
英語教育は絵に書いたモチである。
まず、母国語に対して誇りを持つこと。そうすれば英語も新鮮に楽しめるし、
ことばを通して複眼的に文化などに接することができるようになる。
次に、英語を「コミュニケーションツール」として、認識しておくこと。
いくら英語だけ出来ても、相手を対等の人間としてみることをしなければ
その人は朴念仁だろう。まさに「仏像作って魂込めず」の英語教育が生み出した
副産物である。
先日も言ったように、今や"World Englishes"の時代なのだ。
英米が主流とはいえ、「お国独自の英語」が出来上がりつつある。
シンガポールや香港の人たちは、俺に対してはたいてい英語で話してくる。
いくら誰かさんが「Issueはパートのおばさんと同じ労働力だ」と言っても、
英語を話すお客様の対応が出来ないのにそういうことを言われると余計に
腹が立つのである。果たして今の職場で俺以外に英語で対応できる人はいるだろうか?
かといって俺は笠に着ないようにしている。自分の場合、調子に乗りやすい。
世の中に完璧な英語はない。俺が目指すのであれば、少しでも多くの人に
「理解してもらえる英語」がいいと思っている。
イギリス語にしてもスコットランド訛りなどもあるし、アメリカにしても
南部訛りがある。こうなると完璧な英語はどんなものかわからなくなってくる。
全国の英語人間よ、胸を張って日本なまりでも英語を話そうぜ!