Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

俺の考える循環型社会とは

理想は「一人でも多くの人が社会参加し、その場において成長できる社会」です。
残念ながら自分は政治家じゃないので、これは実現できない。
俺が出来ることは労働者として社会参加し、少しでも多く訴えていくことですね。
日本では90年代にリカレント教育なるものが出てきましたが、遅すぎるくらいだ。
我が恩師、蓮間先生が述べていた「産学協同」の精神があってこそ、学問も産業も
連動して発展していくのではないだろうか。
今まで学問の世界は、苔むした象牙の塔だった。
だから、向学心に燃えている人間が敷居を跨げず、学問ヲタクどもが退廃的に
のさばっているという構図が出来ていたのだ。
ブラック・ジャックで言えば、「手術もしない権威主義的医者」であろう。
彼は某国のダレソレ大臣の病気を治しただの自慢していたが、ある時BJが
銃で撃たれた時、弾丸の摘出を行って以来自分の愚かさに気付いた。



権威主義者が上にいる内は、「一度社会からドロップアウトした奴はダメ人間」という
認識が通ってしまう。ここで重要なのは「やり直してどのように生きているか」であろう。
戦後の「ご都合主義」は様々な副産物を生んでしまった。
ハンセン病や精神疾患患者の隔離によって、彼らの人生の時間を止めてしまったのである。
その間に社会復帰だってできただろうに、巨視的に見れば「福祉社会への脱皮の機会」を
失ってしまったものである。真のゴールドプランとは、障害を持とうが持つまいが、
自分自身の生き方を見出していけるものではなかろうか?



そもそも「医者の不養生」ということば自体、語弊があるのではないか。
医者だって病気になる。怪我もするだろう。
医者が自分で病気を治せる人は、どれだけいるのだろうか?
俺は病気になった医者を責めることはしない。
彼らは、医者である以前に「人間」だからだ。
ハロー(後光)効果を受けやすい日本人だからこそ、この落とし穴に気付かない。
俺は、ハロー効果に気付かない人間を「カタガキが一人歩きしている」と揶揄する
ことにしている。おっと、わき道に反れてしまった。
一番の理想は「人対人」のコミュニケーションが出来ることである。
これが第一歩。