トラウマという亡霊に憑依された日本人。
先日、高橋秀実の「トラウマの国」を読了。
彼自身の見解は、トラウマの国とは日本人が抱く目印のようなものと言っている。
逆に、トラウマに憑依させられている日本人の姿がありありと見えた。
トラウマ探しを自分探しと誤解しているセラピー受講者。
田舎暮らしでのんびりと過ごしたくても、順応できずに苦悩し狂奔する団塊世代。
「おうみ」という地域振興券で振り回される地域住民。
カルロス・ゴーンの英語至上主義に振り回される日産社員の姿。
東京電力の資格奨励制度に苦悩する社員の姿。
この有様を、「トラウマという亡霊」と言わずして何といおうか!
少なからず、政府や企業の思惑が絡んでいるのは間違いない。
巨視的に見れば「トラウマ治療に名を借りた感情統制」だろう。
PTSDの場合、トラウマ治療は不可欠だが、慢性的ストレスで苦しんでいる
人まで巻き込んで治療しようとするのは強引ではなかろうか?
心のドアノブは内側にしかついていない。
だからこそ、あけてもらえるような環境作りも必要なのだ。
アマテラスの天岩戸を考えれば、容易なことだろう。