Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

呉下の阿蒙にあらず

三国志の本を読んでいたら、このことばが出てきた。



呉という国の軍師・魯粛が、初対面の呂蒙という猛将を評したことばである。



以前の呂蒙は武力だけでならしていたところもあり、後の呉の皇帝、孫権
呂蒙よ、お前に知もともなえばな」と言ったところ、呂蒙は兵法書などを
読み漁り、文武両道の武将と知られるようになった。



最初は魯粛呂蒙を「武だけの男」と思っていたらしく、呂蒙が兵法などを語る
さまを見て、「呉の蒙さんとはいえんな」ともらしたと言われているのである。
呂蒙が「士、別れて三日、刮目して相待す」と返したのは有名である。



彼の先見の明を現すエピソードでこんなものがある。



夷陵の戦いで、作戦の指揮を呂蒙に任せるという動きがあったが、呂蒙はあえて
新参者の陸遜を推挙し、自分は出陣することに専念した。



陸遜は、劉備はもちろん蜀の武将らにはノーマークだったらしく、虚を突かれて
朱然らが率いる火計隊に、陣を丸焼けにされてしまった。



呂蒙が狙ったのは、陸遜を据えることで相手の油断に漬け込み勝利を得ること
だった。「兵は詭道なり」ともいえることである。