Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

マジメも休み休み言え

題名は、河合隼雄の「こころの処方箋」収録のコラムからとりました。



自分自身、今まで「適当にやれ」と言われたことがたくさんありましたが、
「適当って何?どれくらいまでやればいいの?」と自問自答しながら、
動いてきました。これって俺の障害による特徴なんですよね。



あいまいなことが理解できないってのは、情けないですが、受け止めつつ
理解していくしかありません。



特に以下の部分は、今まで自分が経験してきたことだと膝を打ちました。

とにかくマジメだが、何となく人に嫌われたり、うとんじられたりする人がある。言うこともすることもマジメで、その人の話を聞いていると、「なるほどもっとも至極」というわけで反論の余地がない。もっともだと思いつつ、しかし、心のなかで妙な反撥心が湧いてきたり、不愉快になったりしてくる。そこで何とか言ってみたいと思うものの、相手の方がマジメで、非の打ちどころがないのだから、それに従う事になる。そのときに残った心のもやもやが溜まってくるためもあってか、そのマジメな人を何となくうとんじてしまう。ここでその人が手のつけられないマジメ人間のときは、何だか自分の評判が悪そうだから、ガンバラなくてはと一層マジメになるので、悪循環が生じてしまう。(河合隼雄「こころの処方箋」p.56)

学生時代のサークル交流会で某国立大学の学生と接していた時には、
受験戦争の勝利者への劣等感に加え、相手のマジメに自分自身が
屈服されるというバツの悪さを感じて、非常に暗澹たる思いでした。



相手にそのつもりはないにせよ、俺としては悔しかったですね。
マジメはマジメを増幅させてしまうのかなと感じました。
まさに悪い意味でも「鏡の法則」です。



さらに、ウォーターゲート事件での国会証人喚問をアメリカで見た著者は、
日米の国民性を通じた違いにも触れている。

日本的マジメは、マジメの側が正しいと決まりきっていて、悪い方はただあやまるしかない。マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、相手の世界にまで心を開いて対話していく余裕がないのである。
(前掲書p.58)

欧米の場合は、どんなに善悪が分かれていても、相手の言い分も十分に
聞くべしという態度があるそうです。



ただし、侃侃諤諤の議論は避けられないが、相手に対して心を開ける余裕が
あり、その中からユーモアも生まれるとされています。まぁ、ネクラな欧米人も
いたりするわけで、必ずしも当たっているとはいえないですけどね。



日本において、マジメ人間は「真実の旗印」を背中にさして、鬼の首を取った
ように相手を攻撃するものだといえます。



突き詰めて言えば、「フマジメな相手」の存在も否定することにもなります。
マジメの論陣でやられた方はたまったものではなく、溜まりかねて逆ギレして
反撥するか、完全に相手とのコミュニケーションを遮断して、今後は関わら
ないように距離を置くという事態にもなります。



日本式マジメは、非合理的かつ非建設的ではないでしょうか。



このことを裏付ける特徴を、次のように説明しています。

マジメな人は自分の限定した世界のなかでは、絶対にマジメなので、確かにそれ以上のことを考える必要もないし、反省する必要もない。マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じるところがある。自分の限定している世界を開いて他と通じること、自分の思いがけない世界が存在するのを認めること、これが怖くて仕方がないので、笑いのない世界に閉じこもる。笑いというものとは、常に「開く」ことに通じるものである。
(前掲書p.58-59)

過去の職場の管理職にも、そんな人が一人いました。
まぁ、彼をBさんとしましょう。



見た目は小奇麗で清潔感はそれなりにあるし、石部堅吉を絵に描いたような存在。
しかし、角度を変えれば「マジメトーチカ」に篭って、相手のあら捜しを含み笑い
しながらやってそうなネクラな中年でした。



彼は客商売ゆえに作り笑いは浮かべますが、彼が腹の底から笑ったところを
在職中見たことは一度もありませんでした。仕事上で仕方なく彼とやりとり
しても、心から尊敬して近づいている人はいないようでした。



ある秋のことです。俺は、仕事で夜7時くらいまで残っていましたが、
風邪が悪化してしまって、熱もあれば悪寒も悪心もあるひどい状態でした。
仕事がいつも以上に出来ないという事実だけを非難されてしまって、本当に
悔しい思いをしました。



「何、チンタラ動いてんのよ!んぁ?」
この一言は、グロッキーの俺には結構こたえました。



Bさんの生き方も、また人生哲学です。
しかし、自分が同じことをしても、どこかで嫌気が差すだろうなと思います。



まずは失敗してもいいから、人付き合いの練習をしています。
模範解答はあっても、確実な解答は絶対にありません。
心のプロの力を借りながら今、模索中です。



小泉進次郎が失敗をうまく笑いに変えられるというのは、自分を開いて
いるからかもしれません。彼の場合、攻めの姿勢が最大の防御と考えて
いるところもあるのでしょうけれども。



時にはおもしろおかしく楽しんで、時にはマジメに没頭。
そんなんでいいんじゃないかなと俺は思います。



今まで頭に漬け物石が乗っかっていたような感覚もありましたが、ごくわずか
とはいえ、軽くなってきたようにも感じます。