Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

尊大な性格と器の大きさは紙一重

最近になって気付いたのが、尊大な性格を器が大きいものだと勘違い
している人が多いということです。



器の大きさは、自分を含めて相手を認められるかという度量のことで
あり、必ずしも態度の尊大さと等しくはなりません。



自分の周囲にも、尊大な人たちは結構いたりします。
例えば、本人は気付いていなくても、言葉の端々のみならず、行動にも
「自分が偉いんだ」という雰囲気が滲み出ていたりするのです。



彼らは概して、相手の感情に鈍感である場合が多いのです。
特徴として次のような傾向が多くみられます。



自分の事だけを延々と話す。
自分をスゴイ奴と相手に印象付けようと躍起になっている。
自分の趣味は相手にも理解してもらえると思い込んでいる。
相手よりも優越することに執着する。
…など。



このようにされた相手は、たまったものではありません。
過去の自分にもそういう傾向がありましたが、最近自分が相手に
言われる立場になって、逆の人の気持ちがわかるようになりました。



尊大な人がいくら適切な言葉や人を思いやる言葉を使ったとしても、
相手の心に届く事は少ないと思います。たいていは人を見下している
態度などと取られて、誤解が深まるのではないでしょうか。



結論として、器の大きさと尊大な態度は紙一重といえます。
相手も自分もいかに受け入れられるかが、その境界線なのかもしれません。



相手を受け入れず、自己愛に走れば、「尊大なエゴイスト」でしかない。



かといって、相手を受け入れて、自分を粗末にすれば、単なるイエスマン
になってしまう。



両方とも拒絶すれば、単なる人間嫌いの隠者になってしまう可能性は
大きいです。



本当に器の大きい人は、相手も自分も大事にできる人だと思います。
自分の今までの人生で、そういった人には2人くらいしかいません。



俺も人のことは言えませんが、少しずつ自他ともに優しくなれればと
考えています。



プライベートで考えさせられることがあって、考えをまとめるのに
文にしてみました。伝わりにくいところもあるかもしれませんが、
参考になれば幸いです。



「俺(私・ボク・ウチ・おいどん・なー・ミー)もこんな気持ち
あるよ!」という方も、是非コメントを下さい。