Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

俺の周りを 見渡してみれば 強烈キャラの 困ったちゃん

都都逸風にタイトルを作ってみましたが、この頃俺の周りにはホント困った奴が多いです。本当に名前までさらしてやりたいくらいですが、ネチケット以前に人の道に反するので我慢しています。

俺も個性が強いとは自覚していますが、周囲の奴らは俺以上にアクが強すぎてマジパネェんだけどというところです。

日本柔道代表、史上初の金メダルゼロ

父も俺も柔道経験者ですので、今回の大会は途中まで観戦してました。松本薫の金メダルは見事でしたが、自分は睡眠不足を避けるために朝のニュースで見ました。

男勝りと言う闘志をむき出しにしてとありますが、それぐらいの気迫を感じる男子選手はいなかった気がします。たいてい静かであっても、全身から闘気として伝わってくるものなんですが…。やっぱりテレビだからなんでしょうか…?

「柔道」と「JUDO」

日本選手団が柔道の変革の波に飲まれながらも、頑張っているのはよくわかりますし、外国の柔道のやり方はあんまりだと思います。

待てを掛けた後でも、選手が着衣の乱れを直さない。足さばきはすり足ではなく、バタバタとやかましい。試合場なのに一礼して出入りしないし、おおっぴらにガッツポーズをしている。…などなど。

こんなことを一度やろうものなら、容赦なく柔道の先生から怒鳴られたものでした。

今、日本代表が出ている競技は「柔道」ではなく、「JUDO」という別のスポーツだと俺は思います。柔道が国際的に認知されるのはいいが、本来の趣旨が歪曲して伝えられている気がします。

力押しさえすればいいという戦略が見え見えだったり、本来技ありであるべき判定が一本にされてしまっているのを見ると切なくなります。

昔の選手であれば、「一本の美学」「柔よく剛を制す」「精神修養」などの心意気が試合の戦いぶりに表れていた気がします。

本当に強い奴は、一本を取れる奴だと思っていましたし、事実そういう人の技はすばらしいもんだと思います。

日本に、講道館がある限り、「柔道」は不滅だと思います。嘉納杯ではまだまだ一本の美学をよしとする基準が残っていると聞くので(親父談)

親父との乱取り

かれこれ10年くらい前だと思います。俺が昇段審査で型の審査に入るとわかると、親父が練習に付き合うからと道場まで乗せて行ってくれました。

型の練習の後に、乱取りを仕上げにやることになりましたが、俺が大内刈りで親父を倒すと、さすがに降参した様子を見せました。それ以来、親父は柔道を観戦する側に回ったそうです。

自分も練習を辞めてから同じくらいたつので、今再開しても多分倒れてしまうかもしれませんね。