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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日はあまりイラっとするほど暑くはなくて

立秋を過ぎたせいなのかはしりませんが、イライラするような暑さではありませんでした。「サウナに近い熱気かな」と感じる程度で、夜もさほど暑いわけでもありません。むしろ、夕涼みにもってこいの天候です。

北海道の気候に体がすっかり慣れているせいか、夏に関東に住むとなれば、真っ先にダウンすると思います。冬は少し鍛えられてるせいか、それほど難儀しないとは思いますが…。

不機嫌な社会

障害者の社会にしても、当事者は常に不機嫌な奴が多い気がします。障害の特性からなのか、キツい言動で周囲を振り回して、専門職や利用者を困らせたりする奴もいて本当に嫌だなと思います。

健常者の社会であっても、瞬間湯沸かし器のような人もいるので、もはや大人の付き合いが出来ないのかなと感じてしまいます。

乱暴な言い方をすると、社会全体が「不機嫌」になってしまっている気がするのです。

年や地位が上だからという理由だけで威張る奴。いじめの標的を見つけてはモラハラ・パワハラをする奴。会社の金を横領する奴。上司のスキャンダルをネタに職場で傲慢に振る舞う奴。…などなど。

この10年近くを見ていて、こんな奴らが多すぎます。

おまけに、コミュニケーションも一方通行のドッジボールだから、「避ける」か「逃げる」かしかないんですね。当たったら「犬にでも噛まれたと思って忘れなさい」と言うような態度をさもありなんと、本人は押し付けてくるもんだからたまったものではありません。

自己愛過剰中年は、たいてい「相手はヘンだ。生意気だ」「こっちの言うことが正しいに決まってる!」という前提に立ってドッジボール・コミュニケーションをするから、周囲は離れてくし、陰で裸の王様呼ばわりだってするわけです。

双方に誤解があったとしても、その中年がやり方を変えない限り、コミュニケーションは決裂です。いわゆる大人版ジャイアンです。

人に対してはていねいに接さなければならないし、家族にはそれ以上にていねいに接さなければならないとコーチングの本で読みました。それはどういう意味かと言うと、相手を「人」として尊重して接するということです。

ドッジボール・コミュニケーションには、そのような概念はなく、自分の言いたいことを言い放つだけでしかありません。だから、相手の反応や趣味・嗜好などお構いなしになるのでしょう。自分もそういう罠に陥ってきましたし、これからも注意しなくてはならないと考えています。

自分の歴史なんぞしばしば否定されんだよ

むすびめの田中康雄先生は「患者の生きてきた歴史を尊重した上で、慎重に診断して行かなくてはならない」と、発達障碍者の診察のあり方を講演会で述べていましたが、この表現は自分にとっては、目からウロコが落ちるほどの感銘を受けたものでした。

今の時代は、たいていの人に転職経験があって当たり前です。もちろん、転職した時は中途採用であっても新人社員という経験をしてきていると思います。俺も3回くらい経験しました。

ブラック企業では、元教員と言う理由だけで、DQN社員やパートのババアどもから色眼鏡で見られ、逆学歴差別もされましたよ。「おい、大学出てるくせにこんなこともできねーのか!」って言われたこともありました。

自分の歴史を肯定したり理解してくれる人はあまりいないと思っておいた方が傷が深くならずにすみます。最近、それに気が付きました。

たいていは、自分の歴史というものは、人にとっては関心がなかったり、場合によってはバッサリと否定されることだってあるわけです。

施設の当事者にもそのことに気づいてない人はいます。自分の考えばかり押し付けてドッジボール・コミュニケーションばかりするし、人の障害を理解しないくせに、自分の障害への理解を求めることを平気でするわけです。

「俺は年上だ」「重い障害を持っているんだ」「俺は自衛隊などの肉体労働をしてきたんだぞ」「だからお前らとは違うんだ」…などなど。

さらに突っ込んで言えば、そんなのどうでもいいと思っている人だっているわけです。「あんた、どうして威張ってんの?力が強いの?それとも頭がいいの?」というレベルで考えている人もいたりするのは十分あり得ますよ。

入社したばかりで威張った態度を取っていれば、周囲からは総スカンを食らってやんわりと解雇されてオシマイということもあるでしょう。入社以前に、運よく面接に行けても、担当者の眼前で化けの皮を剥がされる恐れがありますよ。

謙虚になれとかは言いませんが、せめて他の人の職場で働かせていただく以上は、職場で最低限仕事が回るくらいのコミュニケーションを取れるようにしないと働けないと思います。

繰り返しますが、自分の歴史が否定されるのはしゃーないし、否定されてムキになったところでいつまでたっても周囲からは孤立するだけです。

誰かが自分の歴史を否定したとしても、わかってくれる人はいるし、いないと思ったらまずは自分が肯定すればいいだけのこと。ただし、自分の歴史だけが正しいと思っちゃいかんよと言いたいですね。人の数ほど歴史はあるわけだし、まずそこから理解することから始めた方がいいでしょう。

簡単なように見えるが、難しいのかもしれませんね。わっかるかなぁ?わかんねぇだろうなぁ~(松鶴屋千とせ口調)