Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

コミュ障哀歌

発達障碍者が抱える問題で「コミュニケーションの障害」があります。ネットスラングでもコミュ障というのはありますが、これは専門的な使われ方とは違って、単に意味不明な相手の言動を揶揄する表現でしかありません。

発達障碍者は、概して「コミュニケーションの障害」から生じる問題を減らすための工夫を身に着ける機会が、圧倒的に不足してきたわけです。早期療育の安全網に懸かった人たちはいいが、後付けで発達障碍者となった人たちは悲劇としか言いよう有りません。

目に見える部分だけを非難され、見えない部分は置き去りのままという苦しさは味わった本人にしかわかりません。しかし、その苦しみをそばで見つめようとしてくれる人たちがいることも事実としてあります。彼らが福祉関係者や当事者団体です。

発達障碍者がいわゆる「ぼっち」になったり、極めて狭い交友関係にならざるを得ない状態になるのは、当然至極ではないでしょうか?

特性を理解しろとはいいませんが、「コミュニケーションに独特のクセがあるんだな」という程度で受け止めた上で接して頂けると、大変助かります。

コミュニケーションの課題

施設に通ったり、当事者の集まりに行けば、障害者にもいろいろな人がいます。

感情が不安定になる人。人との間合いを摑めずにパーソナルスペースにズケズケと入る人。対人恐怖気味になって人と話せない人。自閉度が高くドッジボール・コミュニケーションをする人。…などなど。

ゆえにコミュニケーションの課題は、人の数だけあります。人と接していれば、どの場所でも誤解や衝突をはじめ、失敗なんかしょっちゅうあるわけです。

発達障碍者がコミュニケーションで失敗をしてしまったという理由で、福祉の専門職がその人の訓練の場を取り上げたり、腕づくで周囲から干してしまうのは、例え気付きや成長の目が芽生えたとしても、知らずに摘んでしまうことに他なりません。

特に「○×さんから聞いたんだけどぉ~、君ぃ、あの人にキレたんだってぇ?」などと過去の失敗を俎上に挙げてしまうのは、やる気を削いでしまいます。このようにネチネチ言われてまで、「次もこの人と話したいなぁ」と思う人がいるでしょうか?

実践的な訓練の場を与えずに、コミュニケーション能力の見直しをするのは、卵を割らずにオムレツを作れと言っているようなものです。それだけ底意地が悪いことをさせるのは、相手の人間性を考えてしまいますね。

コミュニケーションは本を読んだだけでは身に付きません。むしろ、知識を知恵に転化させなければ、本当にコミュニケーションの経験値は増えません。これはある当事者団体の人のことばですが、まったくその通りだと考えています。

支援者の皆様に望むのは、発達障碍者からコミュニケーションを鍛える機会を奪わないで頂きたいということです。彼らは元来その経験値が本当に不足しているだけなんです。転退職の繰り返しという負のスパイラルを断つためにも、皆様のご助力が本当に必要不可欠です。

イイトコサガシや女性当事者の会・カモミールのように、彼ら主催のワークショップに参加できる機会が地元にある人はまだ救われます。しかし、そのような団体もなく、当事者ならではの悩みも他人と共有できず、コミュニケーションを磨く機会がないとなれば、すぐに「ぼっち」になるし、二次障害も出てしまう。無論、自閉度も一層高くなる可能性は容易に考えられます。

発達障碍者がコミュニケーションの問題を乗り越えられたら、周囲から「反乱分子」「危険人物」「疫病神」というネガティブなレッテルが貼られることは少なくなるでしょう。

人の数だけあるコミュニケーションの課題を乗り越えていくためにも、一人でも多くの皆様にご協力をいただけると大変助かります。

一見とっつきにくいかもしれません。コミュニケーションが円滑にできないことだってあるかもしれません。でもでも!一つだけでも「あんた、ここできてるじゃん!」などのように褒められると、たいてい元気100倍になります。

発達障碍者のスペックについて

感情が不安定なのは、感情や能力のバランスのとり方がわからないだけです。それができないから、スーパーサイヤ人状態になって、能力MAXまで動いてしまうんです。

発達障碍者は必ずしも、アンダースペックじゃありません。

その障害で生じる問題があるゆえに、自分の能力を職場で生かし切れなくてオーバースペックだったり、自分のスペックに見合わない仕事しかさせてもらえずにアンダースペックになってしまう事情があります。

こういった事情を無視して、「変人で使えない部下」という決めつけてしまうのはいささか危険かと思います。たいていの上司が「面倒事」を嫌がるのは、重々理解しています。なぜなら、自分の評価や昇進に影響が出てしまうからですよ。それか、純粋に事情が飲みこめないだけです。

上司の誤解を防ぐためにも、福祉の専門職やジョブコーチが障害者の通訳をすることも大事だと、今年のJDDネット総会で学びました。もちろん、俺たち障碍者も極力会社側の意向を理解し、行動する必要は大いにあります。

輝ける機会に恵まれなければ、発達障碍者なら確実に自虐と自己嫌悪のスパイラルに陥るでしょう。発達障碍者を世間が忌み嫌う「ただ生きるだけの粗大ごみ」にしたくなければ、それ相応のおぜん立ては必要だと考えています。完全にそれがある状態でも、発達障碍者が努力しないのは非難されてやむなしですが…。

基本は「できることを増やす」の精神で、お互いにやっていければ、結果オーライになっていくのではと俺は信じています。