Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

「比較」という名の劇薬

人のことが気になって仕方がない性分の自分にとっては、比較という
行為をなかなかやめることができませんでした。もちろん、今でも
やめるかやめないかで葛藤することが結構あります。



確かに、親や教師は「比較」というものをよく用います。例えば、
以下のように。



「Aは勉強して東京大学に入ったのに、お前という奴はどうして
ボーダーフリー私立大学なんだ!」



「Bは今後のために英語塾に通っているのに、お前って一体…」
などなど。



一般的に「教育的存在」と呼ばれる方々が、「比較」という手法を
使って自分たちの名誉欲を充足しているようにも俺の目には見えます。



無論、大学の就職課や就労支援の施設ですら、この手法を使う人間が
いたりします。



就職のコネを握っている担当者にゴマをすればいいのかと誤解して
しまうことだって大いにありますよ。



時に「比較」は競争による切磋琢磨も生むでしょうが、嫉妬による
足の引っ張り合いやパワーゲームという末路をたどります。



比較も劇薬というくらいだから使いようによっては…という意見もある
でしょうが、悲劇しか生まないものであれば「害毒」でしかありません。



完全に「比較」というものを無くすことはできませんが、結局は俺たちの
良心にゆだねられているのかもしれません。