Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

誤解はあるものだが…

先日、話し合いがあったわけですが、施設長から一方的に誤解があって本当に不愉快な思いをしました。こちらが釈明すればするほど、向こうが余計に誤解をしてくるから取りつく島がありませんでした。これだから、話の聞けない人は嫌なんだ。

人間のいる集まりがあれば、誤解が生じて当然です。どこ行ってもあるんじゃないかなと考えています。前にも言いましたが、色眼鏡で見ている人から、色眼鏡を外せなんて言われたくないですよ。

面接をパスする技術があったら就職で悩むかよ!

一時期、中谷彰宏さんの「メンタツ」が流行りましたが、著者自身もメンタツがマニュアル化してしまうのを懸念していたということを聞いたことがあります。

俺はある人から、先日こう言われました。
「あんたは技術だけで面接を受けようとしている」

さすがにムカつきました。何せ俺には、面接に受かる技術なんてないからね。「そんな技術あったら、今の今まで苦労してませんが…」と反論したのは言うまでもありませんが。

言うに事欠いて、技術で面接受けてるって言われたら、こっちだっていい加減にしろって思いますね。そんな人が働いている職場ってどうなんだろうと率直に思ってしまいました。逆に不機嫌な職場なんじゃないでしょうかね。

技術で面接受けてるとか言ってる場合じゃないでしょ。問題は、どう内定に繋げていくかじゃないの?何かピントがずれてるから、ため息がつきたくなるんですよね。

努力礼賛と自己責任論のウソ

俺は人と比較する癖があります。その癖が強くなってきた時に考えるのが、マグカップとジョッキの比較です。つまり、入る量や用途がそもそも違うのに、比べたって仕方ないだろうということです。

まず、昔の人が「努力は人を裏切らない」とよく言いますが、それは「自分の努力が報われやすい場所にいること」が前提なのです。これは自分が購読中のブログで言っていたことで、なるほどと思いました。お互いに色眼鏡で人を見たり、足の引っ張り合いをするようなところにいれば、どんなに努力しても、報われるであろう努力も報われません。

ネガティブになっている人から見たら、所詮「上から目線のアドバイス」でしかないわけです。話を聞くだけでもいいのに、自分の成功例を声高に主張したところで、本人の心に届かなければ、ただの自慢話になってしまいます。

先に説明した事実を無視して、「就職できない奴はクズ」「発達障碍者は甘え」と言い切ってしまうのは、突飛な論理かもしれません。努力が報われる可能性の場所にいる人が、何もせずにぐうたらしているのなら、批判されても当然です。

イチローのように四面楚歌な状況だったとしても、腐らず努力を重ねて偉大な成果を出せる人間はほんの一握りですよ。それでも努力しろ、自己責任論だと言えますか?俺は言えません。

努力が報われない時は、広大な砂漠で水撒きを延々とさせられているような心境です。だからこそ、就職できない人にはステージごとの支援を用意してほしいと思います。前にも言いましたが、努力が報われるであろう場所にいて、努力しない人がいれば、ビシッと言ってもいいんです。結局はその人に帰ってくるのではないでしょうか。