もう少しでもぐらも出てきそうな本陽気
今日は、ようやく春が来たんじゃないかという本陽気でした。グループワークの最中も暖房を消したにも関わらず、居眠りをしそうになるメンバーが続出しました。
終わらない冬はない。明けない夜はない。ツイてない時でも太陽の光を浴びて、このようにつぶやくとたいてい元気が出てきます。それでもダメなら、人から距離置いて少しひきこもっちゃいますけどね。
春の陽気を感じると、安全地帯の「パレードがやってくる」などが頭の中で再生されたりします。改めて玉置浩二という作曲家のすごさをここで感じます。音楽のテンポが春の本陽気を感じているかのような雰囲気を醸し出しているので、好きな曲の一つです。
自分のペルソナ
俺は、親しい人のことであっても、「よく理解している」ということばを軽々しく使わないようにしています。なぜなら、人にはまだ見えていない一面もあったりするからです。
このことは、俺にも言えることです。俺が見えていなくて、人には見えている自分もいるし、俺も人も見えていない自分というものもあります。例えば、周囲からよく言われるのはこんな自分です。
- 人見知りが激しく、引っ込み思案。
- 神経質で短気。かつ、感情の起伏が激しい。
- 思い込みが激しすぎる…等々。
今日、施設でメンバーさんと話していたら、このような評価を受けました。
- 口に出した目標は実行できるようにしているし、実際実現したものもあるからすごい。
- 愛想がいいからうらやましい。
この二つの褒め言葉は、自分にとっては予想外でした。俺は負けず嫌いな上に、やらずの後悔はしたくないからやってるだけにすぎません。しかも、愛想がいいのは、たまたまそんな俺の一面を見たからだと思います。
人は良くも悪くも誤解するものですが、どれも自分の一面です。猪突猛進な自分も、愛想のいい自分もひっくるめて、自己イメージというやつなのかもしれません。こう考えると、自分の人間関係での不協和音の原因は、そこにあるのでしょう。
自己イメージが、自他ともに誤解が先行した形になっているから、両者の溝が広がるのかなと思います。人は俺が予想しない形で誤解するから、こちらもひねくれて距離を置いてしまう。そんな人間模様を2年近く繰り広げてきました。
そこに気づけたのは、今日の褒め言葉があったからでした。今いる環境だけに捕らわれてしまうと、どうしてもそこにしか視点が行かなくなると思います。
自己イメージの誤認の根本は、主客転倒にありました。俺は、自己イメージ作りを人に合わせていたのです。人の喜ぶIssue、人が一目置くIssue…などなど。そんなペルソナを被り続けてきて疲れてきたのもあります。ジョジョの奇妙な冒険で言えば、ディオが付けていた石仮面みたいになってしまい、常に気を張っていたのでしょう。正直、マイペースな奴や職員にタメ口を叩いても許される奴らがうらやましくて仕方がなかった。
人間関係も変わっていくものということを、最近嫌と言うほど味合わされました。学生時代の友人も同業者とつながり、施設でよく話していたメンバーも他の親しい人とつながっていく。もともと人間関係が狭かった俺にとっては、酷な試練でした。今まで「少ない人たちでも狭く深く付き合おう」と思っていましたが、「広く浅く付き合うこと」も大切なのかなと気づかされました。後者をやるには本当に辛いけど、やらにゃいかんと思っています。
施設では話せる人はほとんどいないけど、自分を見つめ直す時間をくれたのだと思って、自分に何が足りなくて、何が強みなのかをまた考えてみたいです。そんなのは学生時代に卒業しろという声もあるかもしれませんが、今がやる時ではないでしょうか。