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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日は僕のココロみたいに不安定な天気で

今日は晴れたり雪が舞ったりと忙しい天気でした。本当は天気が崩れて家に帰れなくなるのも嫌だったので、映画を観に行ったらメシ食べて帰ろうかと思っていた次第で…。以下はネタバレになってしまうので、映画の続きが気にならない方は「続きを読む」をクリックして下さい。

何度でも努力を考える

過去に努力については話したと思います。俺が再三再四言っているのは、何でも自己責任論で片づけられるとは限らないと言うことです。

最終的には自分の人生の責任は自分にありますが、そこまでの過程に行きつくまでには、人の力を借りてもいいと考えています。それは福祉や就労支援など、いろいろな形であってもいいと思います。よーく考えてみて下さいよ。

自助努力で内定に漕ぎ着けた人だって、その人だけの力では成功しえなかったわけです。新聞や求人情報誌の力だってあるでしょう。そこを無視して、「私だけの力でやったんだ!」と言うのは、おこがましいですよ。今後組織で働くのに、そんな態度を取っている人と誰が仕事を一緒にやりたがるものですか。そうそういないと思います。

確かに努力や向上心は大いに必要ですが、それらをフイにする環境であれば、いくらやっても成長するはずがありません。その環境は大きく見れば、日本社会だったり、障害者のコミュニティだったりもします。さらに言えば、何でもかんでも力で屈服させるような空気が漂っているのでは、実にタチが悪すぎる。

努力の過程が間違っているのなら、本人が認識するように誰かが道筋をつければいい。歪んだ理解に基づいて一方的な見方を押し付けて矯正させるのは、本人の歴史の否定にもつながります。失敗しても、目標実現に必要な努力を目指していけばいいだけなのに、わざわざ本人を屈服させるようなやり方を取るのは、賢いとは言えません。

努力はある意味、麻薬に近いのかもしれません。ひとたび努力が実ったと認識してしまうと、「努力で何でもできるんだ」という全能感を抱いてしまいます。しかし、努力が実らないと知ると、麻薬の禁断症状みたいに、狂ったように努力し、挙句の果てには虚無感さえ抱いてしまうわけです。何かここまできちゃうと、「思考停止」しちゃってますよね。

努力と言っても、「成果」を意識しちゃうから、途中で辛くなってやめてしまうんでしょうね。やっていることを「努力」と思わず、過程を意識できている人こそ、努力の達人と言えるのかもしれません。

女将・月本幸子が教えてくれたこと


今話題となっている「相棒 X-DAY」を観ましたが、実に考えさせられる映画でした。絶賛公開中ですので、ネタバレ防止のため「続きを読む」を使ってみました。

捜査一課・伊丹憲一らが懸命に殺人事件を追う一方で、その裏に隠れていたのは、国家の「金融パニックシステム」を作動させ日本の終わりに追い込むことと、そのための法案整備という大掛かりなものでした。裏で糸を引いていたのは、財務省の族議員、大手銀行のお偉方、金融庁の官僚などという錚々たるメンバーです。

金融パニックの最中で、街頭で乱れ飛ぶ一万円札を群衆が死に物狂いで奪い合う様は、平成の「ええじゃないか」を想像させました。

俺が一番、今回の台詞で印象に残ったのは、鈴木杏樹演じる「花の里」の女将・月本幸子*1の一言でした。

「お金って信頼なんですよね。私、住み込みで月1万円くらいしかもらってなかったんですけど、それでもうれしかったですよ。私ってそれだけ信頼されているんだな…って」

花の里に居合わせたサイバー犯罪係の岩月も「そのお金に対する信頼も、なくなってしまえば紙屑同然なんですよ」と続け、お金の怖さを表現しています。

「ミナミの帝王」の萬田銀次郎は「お金は、親方日の丸が相手でも、自分の手に渡るまで信頼できまへんで!」という趣旨の台詞を残しています。

「お金は自分の労働力の評価」という見方も正しいと思います。しかし、元を正せば、雇用主が使用人の仕事ぶりを信頼しているからお金を払うんです。雇用主の期待を裏切ってばかりの人など、絶対に雇わないし、お金も出さないでしょう。

今回の相棒はお金の意味を考えさせられる内容でした。システムエンジニアの人ならいろいろとツッコミを入れたくもなるかもしれませんが、この作品が訴える「お金の意味」に着目すれば楽しめると思います。

*1:月本幸子の過去についてはキーワードを参照のこと