Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

Old dog never learns new tricks.

題名を直訳すると「年老いた犬は全然新しい技を覚えない」というところでしょうか。日本語で言えば、「老い木は曲がらぬ」と解釈できるかもしれませんね。「鉄は熱いうちに打て」という言葉もありますが、鉄が熱いうちに叩けば形を変えられるように、柔軟な思考のある若いうちに鍛えて成長した方が良いという意味です。

このような理由から、多くの企業が新卒至上主義になってしまうのもうなづけますが、一方で「似非再チャレンジ社会」から零れ落ちた人間にチャンスを与える意味でも、政官財が一枚岩になって政策を実行すべきだと考えています。それぞれの利害関係や既得権益にこだわっている場合ではないと思います。

確かに、年配になってくると身体能力の変化と共に、記憶力も落ちてくるなどの弊害もありますから、今どきの若者が「何で覚えらんねぇんだよ!この老害!」ともなじりたくなると思います。IT業界はもちろんこの社会全体がドッグイヤー化してますので、ようやく覚えた知識やスキルが役に立たなくなることはザラにあります。ましてや人間の頭はコンピューターの記憶媒体のように高機能ではありませんし、古い記憶を削除すると同時に、新しい記憶を仕入れているようなものです。

いくらこだわりの強い俺でも、仕事上で必要となっているのに、新しい知識や技術を身に着けようとせず向上心のない人間には、憤怒の情を抱かずにはおれません。「あんたは俺のできないこともできるのに、何ぼさっとしてんだ!」と胸ぐら摑んで怒鳴りつけたくもなりますね。自分の周囲に、そんな手合い*1は数名いましたが、ヘンなところでスルースキルを発揮して、「裸の王様」状態になっているのに気付かない有様には閉口した次第です。強いて言えば、まったくもってオメデタイの一言です。

昨夜の「怒り新党」で、マツコが「本当に嫌いな人には本音を言わない」と言っていましたが、今の自分も彼女(?)と同じようにきています。確かに、腹が立って本音を言いたくもなりますが、ムカツク相手にキーキー言ったところで、彼らは面従腹背でガチでスルーしているでしょうね。ここまできたら、本人が向上心のなさでしっぺ返しを食らったり、周囲から干されるなどしなければ、理解できないと思います。

自分の周囲にも「自分があなたにとってどう見えているのかを言ってほしい」という人はいますが、俺が言ったところで落胆されてしまうか、完全に肩透かしを食らうかのどちらかです。相手の態度から「本気で自分の行動を顧みたい」という気持ちがにじみ出ていなければ、俺は絶対に言いません。俺が最大限言葉を選んだところで、本人の「本気」や「覚悟」が伝わらなければ、絶対に俺の声は相手には響かないし、時間の無駄ですよ。

もちろん、自分も悲劇のヒーローぶってしまうところは大いにあるので、もう少し冷静に人の批判にも耳を傾けられる余裕は身に着けないといけませんけどね。ただし、明らかに的外れな批判や誹謗中傷とわかるものには、それなりの対策は講じます。一応、自分にもメンターとして担当のPSWさんがいますが、今は向こうが忙しいので、面談と言う限られた時間の中でどう自己を顧みて改善していくかという作業は骨が折れます。この頃は恨み節になっていたので、反省しきりですが…。

長くなりましたが、「一生青春、一生感動、一生学習」をこれからのテーマにしてやっていくつもりです。自分のこれから就く仕事は何かまだわかりませんが、その中にもわくわくできることがあればいいなと思っています。無論、仕事のみならず、生きていれば学習の連続だと思ってやっていくしかないですね。

「優先順位」と「失敗から学ぶこと」の大切さ

聖徳太子は10人の話に同時に対応したと聞きますが、発達障碍者ならそういうことがまずできません。マルチタスクが苦手だったりすることが多く、シングルタスクに集中しがちになってしまいます。思考形式もたいていはマルチレイヤーではなく、シングルレイヤーなためにこだわりが強くなってしまうのかもしれません。

今日、施設の通信作成で、二人の女性職員から同時に説明を受けたために、頭の中がパニックになってしまいました。俺は改めて、「職員だから発達障害について知ってて当然だろう」とタカをくくってしまっていたと反省しました。例え職員が俺を嫌おうと、言うべきことは言わなければならないと学びました。その出来事を某男性職員に話したら、次のように返ってきました。

「今回、苦い経験をしたけれども、あなたはこれで「優先順位」の大切さを学びましたね。僕であっても仕事の片手間に話を聴くのは無理だし、二人に話しかけられたら、どちらかの人に少し待ってもらって話を一人ずつ聴いていけばパニックは起きにくくなりますよ」

なるほど、施設は失敗から学ぶための場所なんだと再認識しました。前の施設長の時は、常に減点法で俺を評価するし、過去の失敗を俎上に出してネチネチした説教を食らうことが続き、やがて俺はパソコン作業に縛り付けられるようになりました。これでは、失敗から学習するどころか、そのトラウマから行動できずに萎縮してしまう場所でしかなくなるわけです。通過型施設であるべき場所が、減点法の被害者の吹き溜まりになってしまいます。社会では失敗から学ぶなんて言ったら、「バカヤロー!勉強は学校だけにしやがれ!」とお叱りのことばを受けることになると思います。だからこそ、社会に出る前にできる失敗をして、そこから学ぶ経験が十分に出来ないと、内定はおろか、就職活動のモチベーションにまで響くでしょう。

せめて、ケアプランだけは御大層で、結局画餅に終わって、利用者が日本版ニートになって引きこもりという末路だけにならないように、専門職の意地を身を持って示して欲しいものです。自分が現状で望むのは、日々の活動での失敗から学べて就職につながる環境がある施設だけです。理想論かもしれませんが、なるほどと思ってくれるだけでもうれしいです。

*1:ハロワの問題職員や、某福祉施設の施設長ね。はっきり言って「俺の時間を返せ!」のレベル