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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

習うより慣れろ!?

英語では「Practice makes perfect.」と言ったりしますが、直訳すると「練習していれば完璧に近づいていく」というところでしょうか。確かに、人間関係などにせよ、「習うより慣れろ」としか言いようのないことが多いと思います。

特に、社会人生活ではザラにありますし、今まで「親方や先輩から技術を盗め!」と言う職人的指示でも、平気でまかり通ってきたんですね。しかし、それは1を聴いて10を知る人間じゃないとできないですし、逆にせっかくの人材が育ちにくいということは出てきても当然です。発達障碍者はそのような背景の中、生きにくさを抱え、ジョブホッパーに甘んじてきました。にも拘わらず、彼らまで自己責任論で容赦なく一刀両断するのは、いかがなものかと思います。

今回は、fvpのスタッフブログより興味深いテーマを見つけてきましたので、紹介します。

vol.4 指示の仕方でパフォーマンスが変わる | FVPスタッフブログ

ことばも送受信の状況によって変化する

fvpの支援事例では、今回知的障害者Cさんの清掃業務を挙げ、指示の出し方の難しさを紹介しています。会社では不可欠な熟練した戦力として知られる社員Kさんが、その障害者に指示を出した時のことです。

永年清掃の仕事に就き、
障がい者雇用の現場指導員に抜擢されたKさん、
熱心にCさんに手順を教えます。
「まずはタオルで手すりを拭くの。丁寧にね。」
「はいっ!」と元気よく返事をして仕事に取り組むCさんです。

しばらくするとCさんが「終わりましたー!」と報告にやってきました。
一緒に現場を確認しに戻ると
手すりには汚れが残っており、ちっとも終わっていなかったのです。

Kさんは、「手すりはタオルで拭いてきれいにするのですよ」と伝え
再度やり直しを命じました。

ここで、ポイントとなるのは指示の出し方です。「タオルで手すりを丁寧に拭いてね」と言っても、わかる人はいいけれど、障害者となればたいていは「拭けばいいんだな」としか受け取らないとこの事例では示しています。KさんがCさんに何度説明しても、同じミスを繰り返すさまに業を煮やして怒鳴ってしまう理由を、スタッフの方は以下のように述べています。さらに、スタッフから改善策を同様に提示しました。

Cさんは、言われたとおりに、タオルで拭いていました。

なぜでしょう。

これは障がい者雇用の現場でよく起こるエピソードです。
Cさんは「キレイに」の基準がわからず
言われたとおりにだけ拭いたのです。

私たちがなにげなく使っている「きれいにする」という言葉は
分解すると沢山の工程に分けられます。

手すりを何回拭くときれいになるのか
汚れいているところはどの程度まで拭くときれいになるのか
汚れを発見した際にどの洗剤で拭くときれいになるのか
どの程度だときれいで、どの程度だときれいではないのか、などなど。

Cさんのパフォーマンスを上げるには
きれいの基準を具体的に示す必要があります。
・手すりは5回拭く
・自分の顔が映るまで拭く
・両手に力を込めて拭く
・黒い汚れを見つけたら、洗剤を変えて拭く
などです。

きれいに、きちんと、しっかり、ていねいに…。
普段私たちが使っている日本語というのは、実はとても抽象的です。
これらの言葉を具体的な言葉に置き換えて指示するだけで
パフォーマンスはぐぐっとアップします。

今回の原因は、知的障害者に限らず、どの障碍者にも当てはまりやすいケースではないでしょうか。ましてや発達障害の場合、シングルレイヤー指向ですので、相手の言外の意味にまで思考が及ばず、自分なりの「キレイ」だけを考えて行動しがちなのです。抽象的な指示がダメなら、具体的に説明した上で出すしかありません。

このケースに似た寓話は、ひろさちやさんの「あるがままに生きよ」でも登場しました。ある人間が自分が帰宅するまで、サルたちに植木の面倒を見るように頼んだわけですが、結局植木を見ていただけで植木をダメにしてしまったというオチの話です。その人がサルたちに「1日1回植木に水をやる」「害虫が付いていたら取り除く」などの指示を出すべきだったと作者は指摘しています。

Kさんが言ったことを、Cさんがきっちり最初からできていれば、障害者でもなんでもないんです。障害による困りごとが原因で、話を理解できなかったりするわけですから、障害者支援のプロなどがお互いの通訳として介在して、コミュニケーションを取ることも必要となります。一方的に障碍者は戦力にならないと決めつけてしまうのは、拙速であるように思えます。

想像力の貧困さが引き起こす問題

ある名言集で、浪人時代にチャラ男を気取っていた男性が、予備校の先生に言われた一言が紹介されていました。

「言葉のないところに、暴力は生じるのです。」

確かに、言いえて妙だと思います。言葉足らずが過ぎれば、相手によっては暴力にも等しい受け止め方をするだろうし、客観的に見ても暴力になってしまうことはあります。俺の障害も想像力のなさというのがありますので、俺自身の言動で相手を傷つけているという点では暴力になっていることはあるでしょうし、反省しなければなりません。

前の施設長が知的障害を持つ利用者があまりにもしつこく聞いてきたからと言って、「うるさい!」と言ってしまったのです。これに関して言えば、どちらも想像力が欠けていると思います。知的障害者の場合、障害が原因でなかなか想像力が持てないのもありますが、これに関しては理解した方がいいでしょう。しかし、彼が鬼の形相で「うるさい!」と言ってしまうのは、向こうがどう思うか想像していないと言うのに等しいとしか言えません。

親父に関しても、同じことが言えます。相手がどう思うかを最低限考えずに、自分の言いたいように言いますから、ドッジボール・コミュニケーションになってしまっているのです。おまけに、彼が同じようにされたら逆切れするわけで、非常に始末に負えません。言動がまさしくジャイアンになっていると言っても差し支えありません。ジャイアンも「すなおにハイといえねぇのか!」という猛言を吐くものですから、さまざまな想像力が著しく欠如していると言ってもいいでしょう。

想像力の欠如で起こる問題を、ここでまとめてみましょう。

  • 自分の言動が相手にどのような影響を及ぼすかを理解、または想像できない。
  • 言葉の選択が不適切で、相手を不快にさせたりすることが往々にして起こる。
  • 相手とことばを使って、健全な人間関係を構築できない。(結局パワーゲーム)
  • ドッジボール・コミュニケーションを平気でするようになる。
  • 自分のことばがすべて相手にとって不利益となり、あからさまに距離を置かれる…など。

いずれも、自分のあてはまることゆえに、今改善に取り組んでいる最中です。それだけに、相手から同じようなことをされるといい気分はしません。相手にも腹は立つし、怒鳴り散らしたくもなる。だからこそ、逆に距離を置いてみたり、対応を変えないといけないのかなと考えさせられる次第です。

最後に、想像力が強すぎても、己を苦しめるだけです。自分も相手もさほど無理しないでやれるような距離感を摑んで、軟着陸できるようになりたいものです。どちらかを重視するだけでは、自分が辛くなります。基本は、「自分も相手もやりやすいね」という居場所づくりが大切だと思います。