Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

年金申請への仁義なき戦い

福祉制度の改正に伴い、先日両親を伴ってのサービス担当者会議を長年お世話になっているワーカーさんが進行を担当して頂き、ようやく済ませたところでした。

次に構えていたのは、障害年金申請への仁義なき戦いです。もうもらえないものとして諦めていた年金が手元に来るかもしれないという一縷の望みを頼りに、両親と衝突することも絶えません。施設をはじめ、自宅での年金パニックによるストレスが原因で、ここ2日の睡眠時間は平均して2、3時間程度という有様です。今日はこの二日の出来事をつづっていきます。

年金事務所への相談(木曜日)

午前中はグループワークに出席し、通信の印刷と同封作業を各人予想以上のスピードでこなし、残りの時間は雑談に充てる余裕があったほどでした。

少々、施設長に連絡して午前中で早退させていただくことにし、帰宅後すぐに昼食を取りました。本当は1時出発でしたが、予定を15分繰り上げて、母親の付き添いで早めに出ました。目的は新さっぽろ年金事務所で、俺が年金申請の要件を満たしているかどうかを確かめるためです。

道中、快晴のために車内に照りつける日差しがまぶしかったりもしましたが、俺は車から景色を眺めながら、「少しでも陽の当たる道を歩きたい」という思いを強く心に抱いていました。一度も通ったことのない道のせいか、俺は童心に帰ってその景色に胸を躍らせ、まだ見ぬ未来の自分に思いをはせていたわけで…。

1時間少々かかって、目的地に着くと、受付から驚かされました。受付にも社会保険労務士が配置されていたのです。俺が年金相談を希望する旨を話すと、受付の裏に備付の記入スペースで申し込み用紙を記入するように言われ、用紙と受付番号表を受け取ると、そこで必要な情報を記入し、近くの椅子に親子で座って待っていました。幸い4人待ちと非常に楽な状況で、気持ちの整理をしてから、相談に臨むことができました。

自分の受付番号が人工音声で読み上げられると、相談ブースに母子で向かいました。何と、目の前にはコワモテでドスの効いた声のオッサンが座っていました。一瞬、「こいつ、スジモンか!?(おい」と思って表情を強張らせてしまいましたが、ドスが効きながらも礼儀正しい口調で挨拶し名刺を差し出していただきました。名刺の肩書には社会保険労務士と書いてあったので、年金事務所には有資格者が対応することになっているのかなとまた一つ勉強になりました。

相談員の方が丁寧な聞き取りをしつつ、自分の病歴等をメモに書いていましたが、母が心配性のあまり俺が答えるべき場面でも口をさしはさむことがあり、相談員さんに制される場面もありました。基本は、自分が現在抱える発達障害よりも前にかかっていた病院の初診日や、その時に加入していた年金の種類が重要になってくるとのことです。相談員さんとしては、一番多く通っていたMメンタルクリニックの初診日や1年半たった状況を、現存しているカルテを参考に現在の医師に事務所所定の形式で書いてもらいたいと言っていました。その用紙を俺に差し出して、「それがダメなら、前あなたが通っていた病院からさかのぼって初診日を証明してもらう書類を書いてもらう必要もあります」と続けました。

帰宅後もMメンタルクリニックから代替わりした医師に初診日の証明書を書くように電話で御願いしてみましたが、けんもほろろに断られてしまいました。恐らく、他人が作ったカルテを元に作った資料で責任を問われるようなことは避けたいからなのでしょう。「アポなしで現地に直行して直談判でもすればよかったんじゃねぇのか!誠意が大事なんだ!」と親父は威圧的に言い放っていましたが、誠意という言葉で何でも片付けば、今頃俺は苦労してませんよ。こんなことばかり言ってると、「誠意大将軍」になっちまうぞ!(怒)

ドッジボールコミュニケーションでぶつけられたマイナスオーラのおかげで、夕食が進まないほどに追い込まれていました。…が、いつの間にやら親父が機嫌を直していて、夕食の後に翌日に通っていた岩見沢市の病院に朝一で行くぞと言ってきたわけで、当然俺はノーと言えず了承することに。当日の睡眠時間は2時間と極めて少なく、心理的にも参りました。

懐かしくも心苦しくもある思い出の地で(金曜日)

今日はいつもより早めに起きて身支度をし、朝食は黒糖ロール2個に茹でたウインナーと簡素すぎる食事。本当は、7時半放映の「あまちゃん」を見ずに現地へ直行しようとしましたが、しっかりと見てから出発しました。

親父の車で国道337号線を通って向かったわけですが、働いている時に帰省の度に車で通った道なので、自分のボロ車を運転していた時の思い出がふと甦ってきました。途中、トラックが前にいたこともあり、栗沢まで渋滞していましたが、車線が増えてからは順調に進み、1時間少々で現地に到着しました。最初は直接、父子ともども自分が受診していたところに向かいましたが、再診受付を別棟でしなければならず、二重手間になってしまいました。受付を済ませ受付表をもらうと、受付番号が40番台だったので、午前中返上かなと覚悟することに…。

再び受診先の窓口に戻ると、待合席で待つように言われ向かってみると、すでにざっと数えて20人くらいは待っていました。この調子だと長く待たされると直感していたところ、親父に週刊誌を買ってくるように言われたので、ついでに自分も飲み物でも買おうと思い、別棟にある売店に向かいました。歩いて軽く10分はかかったので、いい運動になりましたが、往復していると自分が悩みながら青息吐息で働いている時の記憶もよみがえってきました。

受付から1時間半くらいが経ち、ようやく自分の番。俺が挨拶すると、担当医は俺の事を覚えていてくれて「あ、久しぶり!」と言ってくれたのもあり、ほっとしました。少々緊張しながらも、年金事務所からもらった初診日証明用の用紙を差し出し、これに必要な情報を書いてもらうように伝えると、快諾して頂きました。

「あなたがせっかく遠くから来てくれたわけですし、さらにこれは詳しく書くようなものじゃないから、今すぐパパッと書いちゃいますね。少々お待ちください」

先生がこういうと、俺は一旦待合スペースに戻り、10分くらい待っていました。ようやく記入済みの用紙と計算書類ファイルを受け取り、会計に提出しましたが、5分くらい待たされた気がします。結局、家から出て書類作成完了までかかった時間は約3時間。午前中はつぶれたけれど、成果があったのではないかと思います。

自尊心をズタズタにされ、生きる力を奪われ続けることもあり、フラッシュバックが起きかけてしまいました。そんな今日の俺を救ってくれたのは、俺の楽しかった思い出とその地での理解者の笑顔でした。病院を後にすると、栗沢方面のラーメン屋で昼食を取り、直接施設に送ってもらいました。今日は、親父とのドライブになりましたが、先生や懐かしいラーメンに元気をもらった一日でした。

来週早々に、また年金事務所に母と行くことになりますが、恐らく通院歴を遡及しては年金事務所にいく公算が高そうです。年金がもしもらえるのなら、それを計算に入れて障害者雇用で生き生きと社会復帰を果たしたいと切に願っています。