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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

施設長の「大人の対応」

今日、施設でのバーベキュー大会だったわけですが、心身が復調しないまま出てしまったので、いつもは気に留めないことが引き金になって、フラッシュバックが起きてしまいました。

バーベキューの仕込み要員も足りてるし、久々に会ったメンバーも素っ気ない…などの出来事が引き金となって、前施設長から受けた仕打ちを思い出して、自虐モード開始。現施設長が誘ってくれたのに、とんでもない態度を取ってしまい困惑させてしまいました。それでも現施設長は俺に対して大人の対応をしました。

「もう前の施設長はもう関係ありませんが、それが原因で行きたくないのなら構いません。今は火おこし中ですから、肉が焼けてから行くのは参加しづらくありませんか?」

この一言に、彼の愛情を感じました。彼はどんな形であれ、俺の事を見てくれていると感じた一コマでした。彼は俺に「参加してもいい」という選択権を与えてくれました。

参加してみると、俺の思い込みであることがわかりました。みんなめいめいに楽しんではいるけれど、どこかで俺に声掛けをしてくれる。俺を嫌っていると思っていた職員さんも、俺の内面のコンプレックスに触れ前向きに見てくれたことがうれしかったです。途中休みを入れながらも、ハエと格闘の末に肉食三昧という有様でした。満腹になり、車座になってみんなでしばらく話してから、車を飛ばして支援センターに向かいました。

支援センターでは、今日あったことを女性ワーカーさんに話して気持ちを落ち着け、さらに彼女を交えて麻雀大会となりました。久々の牌の感触に感激しつつも、バカな会話のある麻雀をしていました。少々約束の時間をオーバーしましたが、某利用者さんのご厚意でかき氷大会に早変わりし、バーベキュー参加者さんも加わって、めいめい涼しさを堪能。その後はラジオ体操が始まり、運動タイム。実に充実した一日でした。

愛を持って接することの大切さ

自分は教師をしたこともありましたが、生徒や他の人に対して「愛」が足りなかったと今になって反省です。「愛」とは人に見返りを求めず、惜しみなく与えることだと俺は考えています。今日の施設長の愛情あふれる接し方にしてもそうですが、支援センターの職員さんたちにも愛をもらってきたと切に感じます。

今の自分は情けないことに、頂いてきた愛を恩返しと言う形で返せていないのかなと思います。それが、前施設長への憎悪、一部の利用者への嫌な態度につながってきたのかもしれません。そんな俺でも辛抱強く理解してくれる人もいれば、完全にこちらを拒否することもあったと感じています。

俺と前施設長に共通していたのは、「愛」の欠如でした。俺も愛情を求めるばかりで何もせず、周囲に対して拗ねてばかりいました。一方、向こうも、愛に飢えていたために青息吐息で、一部の利用者にしか愛を与えられずにいました。お互いに愛の簒奪者同士だから、当然うまく行くわけがありません。

ただ、誰彼かまわず与えればいいのかと言われれば、それは違うと思います。やさしさにしても、相手を選ばなければ、お互いのためにならないまま双方が傷ついてしまいます。相手のためにならないと思うのであれば、例え罵られても厳しい対応を取らなくてはいけません。今になって、ある女性ワーカーさんの「アメだけでは糖尿病になりますし、ムチだけでも痛さばかりで逆にためになりません」という言葉も心に響いています。

「愛」にもさまざまな形があることを心得た上で、人と接していかないといけないのかなと思います。人に与える以外にも、人を思いやったり、人の欠点を受け入れることも「愛」なのかもしれません。今まで自分の恋が成就しなかったのは、それが欠けていたからではないかと感じます。異性は必ずしも、漫画や同人誌にあるような反応をしてくれるわけではありません。模範解答がなかなか見つからない恋愛ゲームにどう取り組むかも考えた方がいいですね。

おためごかしではなく、本気で相手の事を思いやったことばを吐けるようになること。
相手の多少の欠点も、「お互い様だよね」と目をつぶれるようになること。

まずは、この二つが必要なのかもしれませんが、俺としては後者が出来るようになりたいです。