Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

明日は面接

母の知人のツテで何とか面接に漕ぎ着けることができました。今まで面接を受けることなく、書類審査で落ちたのはまだマシにしても、採否を知らせないままうやむやにされるという屈辱を受けたこともありました。そんなことが続き、俺はいつしか自分に自信を失っていました。施設でも人間関係がうまく行かず、理由もなく一方的に嫌われてしまうことも追い打ちを掛け、面接の運びとなるまでは落ち込んでいました。そんな中でも何とかやれたのは、施設長や職員、一部のメンバー、家族の支えがあったからかもしれません。

顔見知りであっても、相手は一企業人ですから、「俺は試されている」という意識を常に持って、真摯に面接に臨みます。明日が久々の面接と言うことで、やや緊張していますが、謙虚に働かせていただきたい旨をまず伝えられればいいと思います。

もし、今回の面接が通ったら試用期間が始まり、俺は本格的に通勤することになります。通勤するのはいいんですが、正規採用になれたとしても不安定な気がして何だか怖くなってしまいます。今後のことを考えれば、両親を安心させるためにも、まずは一人暮らしを目指していきたいです。自分の給料からどうお金をやりくりするか?今年で40才になりますから、将来のことを考えるなら、今回の面接が人生のターニングポイントになる気がしてなりません。

まずは、人事を尽くして天命を待つしかありませんね。

陽の当たる道の向こうへ

俺はいつも、陽の当たる道を歩きたかった。でも、いつも歩いてきたのは、真っ暗でつまづいてばかりの砂利道が多いかもしれません。出世街道を突っ走る同年代の人間を尻目に、俺は指をくわえてみていることしかできませんでした。発達障害と診断されて、夜明けが来るかと思いきや、俺の目の錯覚でした。手探りで進むようなしんどさを、いつも感じていました。

多くの魅力的な支援者の皆さんに囲まれていると気づけた時、俺の目の前に光がさしてきました。9年来の関係があるPSWさんや今の施設長をはじめ、主治医、おがるや通所中の施設の皆さん、田中康雄先生、かなしろにゃんこ。先生…など、心強い味方がいたことに気づいて感謝できていなかったことを恥じました。

たまーに叱られたりして腐ることだってあるけれど、俺に思い当たる節があれば甘んじて受け止めるしかないと思うようにしています。嫌な気持ちもあれ、そう考えるとこちらのことを思ってくれていると前向きに考えられるようにはなってきました。前の施設長とは確実に冷戦状態でしたので、満足な支援はもちろん、愛情を受けられることはまったくありませんでした。

先に述べたような暗くて重いトラウマもあるわけですが、向日葵が太陽に向かって伸びていくように、俺もそのように進んでいきたい。不安はいろいろとあっても、それ以上に得られることの方が大きいと思ったからこそ、俺は面接を受けさせて頂くことに決めました。繰り返しますが、これは俺にとって最後のチャンスなのかもしれません。

確かに施設のみんなと別れるのは、泣きたくなるくらい辛いです。もっとも、就労移行支援事業所自体、通過型の施設だし、利用者が十分力を蓄えて社会に飛び出していくためにあります。苦手な人たちもまだいるけれど、発達障害の診断を受ける前よりは彼らとの接し方をたくさん学ばせて頂いたと思っています。それでも、コミュニケーションの練習は死ぬまで続きますし。俺は何よりも施設の皆さんからかけがえのないものをもらっています。それは「愛」です。俺がそこに気づくのに2年かかったわけですが、本当に情けない限りです。

これから、辛いことがたくさんあるだろうし、くじけそうになることもあるかもしれません。そんな時、みんなからもらった愛や、自分が今まで学んできたものが、自分自身を奮い立たせてくれると信じています。平均寿命で考えれば、俺の命は長くてあと30年くらいです。自ら懺悔室に引きこもって可能性を潰すよりは、たとえつまづくことがあっても、陽の当たる道を歩いて行きたい。今の俺の思いは、それに尽きます。