Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

「生理的にムリ」に隠された文脈

「生理的にムリ~」と言えば、宴会芸みたいなネタを展開するヒッキー北風によるものでしたね。今回、このことばに隠された文脈を自分なりに探ってみようと思います。

マツコ&有吉の怒り新党でも、マツコ・デラックスはこのように触れていました。

「あいつ、特にむかつくわけじゃないけど何か許せないなっていう感情があった場合、みんなはたいてい生理的にムリっていう言葉を使ってしまうんじゃないのかな?」

確かに「生理的にムリ」って言葉は、自分の中にある漫然とした怒りや苛立ちを正当化するにはちょうどいい言葉かもしれません。でも、それを使ったところで、進歩が止まる気がしてなりません。

先日の怒り新党では、毒舌キャラを気取ったモデルへの怒りを取り上げて、毒舌を吐いていながら、生理的にムリで片づけることに対して、有吉広行はこう批判しています。

「俺たちみたいに毒舌キャラ気取ってさ、人の悪口を言うというよりは、あいつらの場合、本業がうまく行ってないからというのもあって、毒舌キャラをやろうとしてるんだろうね。(中略)ここがこのように許せないというようにズバッと言えないわけでしょ。結局は『生理的にムリ』で片づけようとするってのはさ、トドメが足りないよね~」

確かに、矢面に立つ覚悟で毒舌キャラを貫く人にとっては、物足りなく見えてしまうのでしょうね。人を泣かしてメシウマwというように、収録で泣かせた日にはビールがうまいという彼の毒舌家ぶりにはただただ驚くしかありません。毒舌家になりきれない俺のような人間はどうするかと言えば、これだけは譲れない一線を持ち、時には言わないといけないことを伝えるしかないと思います。

かくいう自分も彼らのような毒舌家に憧れたこともありましたが、彼らは自己責任で毒舌を吐き、その後始末もつけてるわけだし、俺にはなかなかできないよなと諦めました。逆に、リラックスした時の俺には人から見て話しかけやすさがあるらしく、一部の人に喜んでもらえるのならいいのかなとも考えるようになってきました。確かに、俺の場合、「良い人どまり」であることが多いのが難点ですが、時には人に嫌われるのを覚悟で、言うべき時には言う練習をしようかなとも考えています。

今の自分の悩みは、「新しい自分」という産みの苦しみに等しいのかもしれませんが、明けない夜はないと言い聞かせてやるしかないなと思っています。今やっていることは、怒りやすく悩みやすい自分をどう変えるかなので、今まで悩みの中に埋没した自分を否定することになることもあり、本当に泣きたくもなります。最近の自分は、仕事も恋愛も失点続きだったので、どう汚名返上するかで頭を抱えているところです。愛と信頼を取り戻したい。その一念でしかありません。