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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

お袋の不用意な発言

先日家族で夕食を取っていた時のことでした。お袋がおもむろにこう言いだしたのです。

「そう言えば、おじさん(俺の上司)が言ってたらしいけどさぁ、Issueの仕事が早すぎて今月中にもうすべて終わりそうなんだって?だから、バイト代も8月と9月分まとめて払うってさ」

これにはさすがに俺もキレました。例えアルバイトで終わりが来やすいものだと思っていても考えないようにしていただけに、あたかもお袋が人事権を握ってるような物の言い方をしてきたわけで。俺が反論すれば、感謝が足りないだの、甘ったれてるだの言いだし始める始末。本当にメシがクソマズくなってしまいました。

いつも俺に威張った態度を見せる姉も、お袋の不用意な一言には「だから言ったじゃん」と釘を刺したほどでした。俺の場合、情報が多すぎるとパニックに陥り、誤認を引き起こしてしまうのです。それをわかってくれていたと思っていただけに、今回の失言は本当にショックでした。一言でも「悪気はなかったんだ」とでも言えば、俺はブチギレせずにはすんだわけで…。

お袋の言い分は「お前がおじさんに言われてショックを受けないようにしてあげたんだよ」ということですが、いくらなんでも失敗や悔しい出来事から学ぶ権利まで奪われちゃ、こちとらやってらんねぇよって思いです。

失敗や辛い出来事に学ぶ権利

今までの教育や福祉にしても、当事者から失敗に学ぶ権利を奪いすぎている気がします。

暮らせるだけの年金や福祉を与えておいて社会から隔離させておけばいい。ごくつぶしに失敗されるのなら、失敗しないようにレールを敷いてやるのが親心だ…などなど、俺の目にはそんなように映ります。

手痛い失敗をしすぎて立ち直れなくなるのを防ぐための手段として、知恵や道具を授けるのは当然あってもいいでしょう。しかし、当事者が「大丈夫だから」と言っても、「いやいや、私は心配なの!」といきり立って束縛してしまうのは、違う気がします。

過保護であればまだしも、過干渉ならばやりすぎとしか言えません。当事者の可能性を信頼していないし、むしろそれを否定しています。当事者もバカじゃないありませんよ。自分でできることはきっちりやるし、言葉などに障害がない限り「助けてほしい」とちゃんと言えます。

失敗や辛い出来事を経て傷つくのも当事者。そこから這い上がって進むのも当事者しかいない。例えば、自傷他害やら犯罪の可能性があるのなら、「改善するまでみんなと一緒に居れないよ!」ってなるのも当然ですが、徐々に生活態度が改善されてきているにも関わらず、当事者に失敗などに対する「気付き」を摑ませる機会を与えないのは、金八先生の教頭と一緒ですよ。

3年B組の札付きのワル・加藤勝に対して、教頭は「お前は腐ったミカンだ!」と怒鳴ってしまいます。その一言は事実上の三行半ですし、口が裂けても言うべきではありません。

人は、好き好んで他人を傷つけてしまうのではありません。俺も生まれて初めてできた彼女を愛したことで傷つくこともありました。それ以外には、自分が自分であるために、自分探しの旅の途中で数えきれない人を傷つけてきました。人もまた傷つくことで、自分や他人に優しく出来るようになるのかもしれません。あ、そういや、THE ALFEEのWind Tuneにもそんな一節がありました。

障害の有無に関係なく、人は失敗などから学ぶ権利があり、やさしさというものを培っていけるのかなとつくづく感じます。当たり前のことですけど、そこに至るまでの過程が大変なんですね。

最後に、ドラえもんがジャイアンにいじめられてヘコむのび太に言った名言を紹介して終わります。

「いじわるされるたびにやさしくしたらどうだろう?」

彼女からキツいことばを言われてヘコむこともありましたが、そのたびに俺はこの名言に救われました。もう、見返りは期待しないで、掛け捨ての保険みたいに、やさしくしようとしていると、彼女から金には替えられないいろいろなものをもらいました。ま、それは御想像にお任せします。