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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

正義はどこへ

実際にもネット上にも、自分の意見を正義として、檄を飛ばしている人は結構います。発達障害の当事者間でも結構いるものです。

「自分はこう思う!」と声高に言っているだけの人であれば、「ああ、そうなんだ」と苦笑いしてスルーしようとしますが、さすがにこちらを論破しようとする勢いの人とは口も利きたくありません。

そういう人に限って、人の話を全く聞かないか、相手の論理の矛盾点をただあげつらって、向こうへの批判を一方的に展開するわけです。論理の批判ならまだしも、物言いが全体的にきつかったりして、相手自身の批判になるのは避けた方がいいと思います。ここまで来てしまえば、どう言い訳しようと、結果として「人格攻撃」になってしまうのは理解しておいた方がいいでしょう。

相手を論破しようという気持ちが少しでも出てきてしまうと、結局互いの正義のぶつかり合いだけが残ります。相手も「論破される!」と感じれば、逆に自己主張の正当性を展開するのは明白。だからこそ、論破するのではなく、議論を交わすことで、相手にもこちらの主張についても考えてもらう余裕を持ってもらうのが説得と呼べるのではないでしょうか。

桑畑さんのブログでは、物事において「正しいか間違っているか」の判断が下せるのはそもそも限られており、「間違っているかいなか」の判断基準で考えてこそ、お互いの議論は本当に始まったと言えるという趣旨の内容を書いています。本当に大切なのは、正義がどちらにあるのかではなく、お互いの主張で「間違っていない部分」を共有した上で、論理的かつ建設的な道を探ることと最後に述べて締めくくっています。興味のある方は、下のリンクからジャンプして読んでみてください。

建設的な議論をしよう - ファカルティズ・コラム-ビジネス・スキルを高めるヒント集-

「論破」という言葉にこだわってしまっている自分も、何だか間抜けで哀れに思えてしまって、相手に論破された時よりも一層情けない気持ちにしまいます。今後もそうならないためにも、相手が誰であろうと、建設的な議論を心がけたいものです。

グループワークで大切なこと

過去の自分の有様を考えれば、俺も人の事は言えたものではありませんが、さすがにこれはないだろうと感じる時はあります。通所先の施設のグループワークでは単純に、自分を主語にして話す…などの4つがルールとして設けられています。中には、好き放題話す人もいて、このルールだけではうまく回らなくなってきているのが現状としてあります。

俺がよく行く座談会でも同じようなルールはありますが、プラスアルファとして、余りにも長く話している人がいた場合、司会者がファイルで扇ぎはじめたら「話を終わって下さい」という合図というように工夫されています。これは発達障害だけに限った構造化ではありません。むしろ、たいていの事例にも応用できると思います。

とりあえず、グループワークでも一度明言しておけばいいんですよ。時間が長くなりそうであれば合図するから、その時には話を終えるようにしましょうねと言えば、共通のルールとして認識してもらえるのではないでしょうか?利用者によってはそれができない人もいますが、最悪の場合グループワークを外れてもらうのもやむを得ないでしょう。ただそこから外れるだけではなく、コミュニケーション能力を落とさないためのフォローとして、面談を設けては宿題を出すなどの対応は必要です。

世の中は暗黙の了解も付き物ですが、明確化されているルールの中でどう振る舞うかを考え、相手とやっていく知恵を身に着けるのがグループワークの勘所なのかもしれませんね。