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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

社会における発達障害者への厳しさ

発達障碍者支援法が超党派の議員らの尽力によって可決に至ったのは、発達障碍者から見れば、遅きに失した反面、ようやく時が動き始めたという感覚です。

身体障害者知的障害者の場合、支援学校という選択肢を経て、障害年金等の手厚い福祉を受けながら、施設を利用し続けるか、障害者雇用で働くかができます。しかし、発達障碍者の場合、発達障害支援に特化した教育機関が少なく、支援学校に通うにせよ障害を理由に断られることもあります。さらに行く道は、フリースクールなどでしょう。配慮してもらえる高校や大学に進学できる当事者は、まだまだ少ないかもしれません。

発達障碍者が大学に進学し勉強に励めたとしても、自分の障害特性から交友関係を作ることが不得手となってしまうこともあります。このコミュニケーションの問題を学生時代に解決する経験が乏しければ、ジョブホッパーとして不本意な人生を過ごすことにもなりかねません。無論、就職活動にも影響します。応募書類はていねいに書けるけれども、面接に出れば対人面でのあらが出てしまい不採用となることがほとんどです。

さらに、卒業後はプータロー(日本版ニート)などになり、フリーターとして暮らしても、マッチングの不十分さで解雇されたりするなどして初めて自分の発達障害に気づく人たちが増えたように思います。彼らは世間から否定的なラベリングの嵐を受け続けて、自分を持て余しまくった挙句、発達障害に気づいた時にはもう遅いという状況なのかもしれません。

世間からの「自己責任論」だけでは片付かない発達障碍者の就労問題

発達障碍者の就労問題の根底は、キンタロー飴的な就労支援環境にあると考えています。典型的な例が以下のものです。

  • 障害者求人専用の企業説明会に行っても、人事関係者から「本当にお前が障害者かよ!」といぶかしげに見られる
  • その説明会でも身体や知的の当事者が大多数派で、心が折れそうになっても当然のアウェー感*1を抱かされる。
  • 事務関係の求人に応募しても、結局残るのは身体障害者だけ。
  • 発達障碍者がたいてい決まっているのは、清掃業などの肉体労働。
  • そもそもPSWをはじめ施設の職員が発達障害への知識や臨床経験に乏しく、放置プレイを決め込む
  • 企業に発達障碍者を売り込む体制は愚か、結局草の根レベルの啓発行動に頼らざるを得ない

など

就労移行支援事業所にしても、身体・知的・精神の3障害がメインとなっていて、発達障害は蚊帳の外にさえ感じることが多かったです。この2年間は本当に針のムシロだったし、当時の施設長には土下座して詫びてもらっても気が済みません。

発達障碍者にとって壁になっている障害は、支援及び訓練の「可視化」が出来ていないことにあると考えます。可視化とは、俺なりに言えば、このようなことです。

事業所は企業への営業力を付け、かつ障害特性に応じたスキルの育成を行っていく。

ハローワーク等の機関は、事業所と連携を密にした上で、利用者への説明責任*2を徹底し、求人の紹介やマッチングの提案等を行う。

当事者は事業所やハロワなどからフィードバックをもらい、自分の課題等を明らかにし、かつ就労や定着に向けての行動を具体化していく。

当事者にとって、可能な限り可視化し、彼らが興味を引くような実習先や求人の用意をするなど徹底的にお膳立てして初めて、自己責任論というものは機能すると思います。発達障碍者に、感覚過敏や注意欠如のある状態で、「さっさと働け、ヴォケ!」と働かせたところで、自己責任すら全うできないはずですよ。

福祉と就労における環境のバランス感覚

発達障碍者の就労問題における背景は、福祉と就労における環境のバランス感覚です。発達障碍者がどんなに就労意欲が高くて働きたくても、社会全体で福祉と就労の環境がアンバランスになっていれば、一部の障害者が社会参加できて、発達障害など見えない障害を持つ当事者が不利益を著しく被るという事実も出てくるわけです。

就労環境でこのような条件は許されるものではありません。
「発達障碍者を受け入れる会社が皆無」
「発達障碍者の採用実績がないからすぐ不採用」
「身体と知的ばかりを優遇する労働環境」など。

一方、就労での問題に呼応するように、福祉でも歪みを生じはじめます。
閉鎖病棟にブチ込まれても当然至極の障害者が車両税の免除を受ける」
「福祉関連の施設や行事への参加でも、交通機関の運賃割引は知的・身体のみ」
「初診日というものを、他の障害と一様に設定して、適合する年金制度が無ければ申請不受理」
など。

よくお袋は「あんたは障害が軽いんだから我慢しなさい」と言いますが、それは正論です。だからと言って、発達障碍者に一方的に忍従を強いるのは間違っていると俺は考えています。特に、障害者の福祉というものは、障害によって生活を制限せざるを得ない人間のためにあるからです。例えば、発達障害の特性で、プータローやジョブホッパーになったりして、制限された生活を送っているのであれば、それはまごうかたなき障害者と呼べるのではないでしょうか。

行政や企業以外にも、発達障碍者をはじめ、その当事者の家族、支援者などもバランス感覚は大いに求められます。その感覚を養っていくキーワードは、「依存」ではなく「連携」「距離感」ではないでしょうか。べったりしすぎないけど、かといって突き放すわけじゃない…という、お互いの自立に繋がっていければ、発達障碍者が「社会の粗大ごみ」になるという最悪の事例は回避できるのではないかと期待しています。

横浜銀蝿の「つっぱりHIGH SCHOOL ROCK'N ROLL」じゃないけど、「もっと長い目でみてやってくれよぉ」とたまーにぼやいてみたくもなります。発達障害があるから就職するな結婚するなの一点張りでは、どこぞのクソ福祉職ですよ。社会全体で発達障害の特性を活かせるような職場のチャネルを用意できる世の中になってほしいと切に願っています。

*1:サッカーで言えば、北朝鮮対日本の試合(しかも北朝鮮開催)に来た日本代表みたいなもの

*2:前施設長はハロワの前任者とケース会議をしたことすら説明しなかったし、本当にバカじゃないのかと思った