読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

もう呆れてきましたわ

「福祉のジョーシキは一般社会の非常識」という言葉は、まさしくあっていると思います。最たるものは、職員の職権乱用ではないでしょうか。施設長の名誉のために言っておきますが、施設長と一部の職員は俺を見捨てずによくやってくれていると思います。強いて言うなら、ねじれ国会状態に近いのかもしれません。

俺みたいな問題ありすぎな当事者を置いてもらっているだけでもありがたいのはわかりますが、さすがに耐えられないのは、上出来風を装う職員に職権で黙らせられることです。底意地悪い表現をすると、ヤクザの唐獅子紋々や遠山の金さんの遠山桜みたいなもんです。それをチラつかせられるとさすがに黙らざるをえません。こちらの過誤や過失を針小棒大に取り上げて、「とじた質問」で締めあげるのは、やり口が悪徳刑事に近い気もします。

おまけに「色眼鏡を掛けるな」「相手のいいところをさがせ」ということを言われても、向こうが出来ているのかはわかりません。褒められたとしても、あまり心には響かなくなりました。「この人はお世辞や社交辞令で言っているのかな」って。それだけ、欺瞞に満ちた態度だと思い込まされてしまったのですよ。俺も悪いかもしれないが、向こうにももちろん責任はある。職権や障害の有無以前に、人間対人間の付き合いをしてもらえれば、俺だってここまで頑なにはなりませんでした。

前施設長が施設を散々ひっかきまわした影響はここまでひどくなったのかとため息が出ます。これじゃあ現施設長の残業は減るわけがないんですよ。尻拭いをさせられているのだなと容易に想像できます。それは違うと言っても、施設の雰囲気が就労に向かっている人が多いというものではありませんので…。B型事業所ならまだしも、就労移行支援ですら、生活訓練色が強くなってしまっている。作るのであれば、前の店の居抜きではなく解体した上で、併設型の事業所を作るなどした方がまだよかったのではないだろうか。まぁ、結果論なんですが。

グループワークに批判がないと…。

批判とは何ぞやについては、先日も説明した通りです。繰り返しますが、批判とは、物事の事実や根拠に基づいて、改善点を伝える行為です。非難とは、徹底的に相手を貶めたり罵ったりする行為です。その違いを知らずに、「批判するな」という職員はどうなのかなと思います。

では、SSTやコミュニケーション講座で、参加者がお互いにいいところを褒め合い改善点を述べあっているのは、批判ですか?それとも、非難ですか?批判ですよね。アサーティブな言い方がよくて、批判がダメという指導は、少なくともムジュンしています。正しく「異議ありっ!」(御剣怜侍口調)って奴ですよ。アサーティブな言い方は、ある意味批判も含むので。

そのムジュンに気付かずに、グループワークをするとなれば、将来困るのは利用者です。なぜなら、彼らは「批判」の仕方を知らずに、漫然と期間を過ごしていくからです。こういった意見を言えば、バカの一つ覚えみたいに「批判はやめましょう」「知識を披露しないでね」「グループワークは職員が仕切ります」と封殺しようとするから本当に困った限りです。

批判なしでグループワークをやるとおっしゃるのであれば、どうぞおやり下さいませ。その代わり、社会の皆様は容赦なく言ってきて、施設を出た当事者がフジコー!って言っても、俺は知らないからね。例え、職場の人に適切な批判を言ってもらっても、「この人が暴言吐いた~。パワハラジャパイヤー!」なんて、周囲にファビョるのなんてやめてね。まぁ、俺もそういうこともしてきたから人の事は言えませんけど。

実際の職場では、批判してくれる人はまだありがたい。たいていは、非難や罵声などの外的コントロールの嵐です。日本文化は、以心伝心、和をもって尊しとなすという考えに裏打ちされているから、自己主張自体、悪いことと考えられた節もあるんです。今では、良くも悪くも自分が主張すべきところはしないと生きにくい世の中にはなりましたが…。そんな世の中で、「相手の言うことは全面的にオッケーしましょう!」という考え方は、アホとしか思えません。これじゃあ、思考停止ですよ。

老婆心から俺も言わせてもらいましたが、パンドラの箱を開けるか否かは彼らに決めてもらうとしますか。じゃあ、遅いからもう寝ます。