Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

「差別」と「区別」?もうないまぜかも

「差別」と「区別」について言えば、日本語でももうないまぜと言いますか、混同して使われていると思います。そこで、自分でもその違いについてググってみました。

東京人権啓発企業連絡会のウェブサイトでは、国語辞典での定義を交えながらも、このように説明しています。

「区別」とは、十人十色といわれるように私たちはそれぞれ違った個性や能力をもっています。区別とは、「男と女」「黒人と白人」「日本人と朝鮮人」といったように違いを表しただけのことで、地域生活においても、それぞれに違った特色が備わっている状態を言います。そこには、不当性不利益性を被る関係がない状態を表します。従って、就職応募者に採用試験を実施した際に、会社が必要とする職種について能力や適性、試験の成績を総合して、上位から採用していくことは「区別」になります。

「差別」とは、「本人の努力によってどうすることも出来ない事柄で不利益な扱いをすること」をいいます。「出身地」「職業」「学歴」「性別」「家柄」「民族」などによって、上下の値打ちをつけ、その人や団体の自由や権利を無視、侵害するなど不当性、不利益性を被る関係が生じることをいいます。

なるほどねぇ。「区別」というのは、人や動物などにおける「違い」ってことなんですね。ここでは地域生活によって生じる区別を表していますが、前提条件として不当性と不利益性を被ることがない状態とあるので、自分の判断だけでは決められないところもあると思います。

「差別」は、本人の努力によってどうしようもないことで不利益な扱いをされるってことなんですか。言い換えると、そのことで上下の値打をつけられた挙句に、権利を踏みにじられたりしてしまうことを言うんですね。今回は、そのことを踏まえて「差別」と「区別」について考えていきます。

差別にゃいろいろあるけれど

例えば、アバクロが「イケメンの男性のみ応募資格あります」と銘打って採用活動をしたところ、どこかの国で問題になったとかという話は、立派な「外見差別」なんですね。

極端な例ですが、いかにもガラの悪い風体で目つきの悪いコワモテの男性店員と、制服をきちんと着用して笑顔で応対する普通の男性店員とでは、あなたはどちらの店員からモノを買いますか?買うものにもよりますが、販売員であればまず第一印象を大切にしなければいけませんので、例え容姿が十人並みであろうが、最低限の清潔感は保たなければなりません。これはブラック企業の先輩社員も言っていましたし、自分も思い知らされた部分でもあります。

では、コワモテの店員から買わなかったら「差別」なのかと言えば、それは違うと思います。

「てめぇ、この野郎!買わなければ、ぶっとばすぞ!」と無理やり買わせたとなれば、強要罪やら恐喝罪の可能性は出てくるでしょうね。果たして、お客さんはそのような危険な思いをしてまでモノを手に入れようと思うでしょうか。自分なら、例え必要なものだったとしても、諦めるか他の店にします。人それぞれだから、いろいろな考え方がありますが、自分は気が小さいし、Mっ気丸出しにしてまでアブナイ店まで買いに行くような気持ちなんてないということは頭に入れておいて下さいね。

たいていの場合は相手への威圧や恫喝によって成り立つ商売は表の世界には出ないだろうし、むしろ人目のつかない所で行われやすいと考えた方が辻褄が合うと感じます。さて、いかがなものでしょうか。それでも、DQNのような押し売りに理解を示さないからと言って、「外見差別」と言うのはいかがなものかと考えます。一般社会で顧客を怖がらせないような店員や店が流行るのは当然ですが、そこで「パンピーのくせに」と言ってしまうことこそ「一般人差別」にでもなるのでしょうね。

中には、ガンコオヤジが客に怒鳴ったり睨んだりするラーメン屋などが流行っているという例もありますが、これは例外だと思います。契約を含めて商売というのはまず相互の信用から成り立つのであって、信用されていないことを棚に上げて、近寄ってくれないから差別だと騒ぎ立てるのもどうかと感じることもあります。お客さんは、信用できる店や店員を「区別」しているだけにすぎないのではないでしょうか。

「差別をするな」と言っても、そういう思考形式こそ「差別的」になりうることだってあります。最近気づきましたが、たいていの人はどこかで差別的な部分を持っているのではないかということです。ただ、それを出すか出さないかであって。差別者・被差別者については、誰もがなりうると自分でも思います。

外見差別を受けないからと言って、外見で人から信用してもらえていることにかこつけて、悪事を働いてしまうのは、よろしくないことです。これは彼らへの裏切りともいえる行為です。

imformation box 96の差別感

村田さんという方の「差別とはなにか」という記事は、実にわかりやすい説明をしています。

12歳以下のお客様のみの「お子様ランチ」。
金髪で青い瞳のお客様限定の「スペシャルディナー」。

上の2つのメニューを引き合いに出して、なるほどと感じさせてくれます。

 「お子様ランチ」を13歳以上の人たちへの差別だと批判する人はいないでしょう。13歳以上になったら社会的に弱い立場に置かれるなんていう社会は地球上のどこにも存在しないからです。むしろ、どんな社会でもおとなたちは小さなこどもたちよりも多くの面で強い立場にいます。

 一方、金髪で青い目のお客さんにのみ「スペシャルディナー」を提供するサービスは、きわめて差別的に見えます。これは金髪で青い目の白人を「優れた人種」とする長年にわたって続いてきた人種的偏見がその背景にあるからです。たとえこの店のオーナーが「たんにうちの店では、常連客に金髪で青い目の人たちが多いから、このサービスをはじめただけです、常連のお客さんを大事にしてリピーターを増やすことは商売の基本です、このサービスはあくまで売り上げを伸ばすことが目的なんです、べつに私には有色人種を見下すつもりはないし、人種差別をするつもりもありません」と主張したとしても、この営業方針は結果として社会の人種的偏見や人種差別を助長することになります。そのため、このオーナーに本当に人種差別の意図がなかったとしても、こうした人種によって差をつけるやり方はやはり差別的に見えます。

 このように差別の問題を考える場合、その社会背景にはなにがあるのかを十分に考慮しないと、「お子様ランチはおとなへの差別だ」という短絡的な考え方をまねくことになってしまいます。
(村田浩「差別とはなにか」)

「お子様ランチ」が大人と子供の区別だとすれば、金髪の白人限定の「スペシャルディナー」は、まごうかたなき人種差別なんですね。昔「WASPアングロサクソンの白人で、宗教がプロテスタント)」と呼ばれる人種が最高なんだという考え方をする集団がありましたが、「人種のサラダボウル」「溶けているつぼ」などという解釈をする国では、かなりの差別主義集団だったのでしょうね。
金髪の白人以外はみんなディナーを食べられないとなると、平等ではありませんし、こういった差別行為には主張する権利は生じると思います。ただし、お子様ランチは何で大人が食えないと文句を言うのは、筋違いというのはわかりますよね。

他にも、「ジャイアンツファン入店お断り」「中・高生入店お断り」などについて、どう考えるかという問いも考えさせられるものもありました。特に「泥酔客の入店お断りの銭湯」についての問題は、当たり前のことではあるが、モンスターカスタマーなどのストローマン作戦対策として一読しておいた方がいいです。

 多くの銭湯で「酔ったお客さんの入浴をお断りしています」という張り紙を見かけます。これは酔っ払った人が湯船の中で寝てしまうと危険だからで、酒に酔ったまま風呂で寝てしまい、溺死する事故は自宅の風呂もふくめると毎年数多く発生しています。また、酔って暴れて他のお客さんに迷惑をかけてしまうことも「お断り」の理由のひとつです。

引用例のような明確な事由があるのなら、迷惑な酔客の入場をおおっぴらに断ってもいいということですね。似たような例として、日本プロ野球機構の「試合観戦契約約款第6条(入場拒否)」にもこのような決まりが載っています。

主催者は、以下の各号の一に該当する者の球場への入場を拒否することができる。

(1) 正規入場券を所持せず又はその提示をしない者
(2) 第3条の販売拒否事由に該当する者
(3) 第5条1項の持込禁止物の持込をしようとし又は同条2項の手荷物検査に応じない者
(4) 第8条の禁止行為に違反し又はその虞のある者
(5) 著しく酒気を帯びている者
(6) 試合の円滑な進行を妨害し又はその虞のある者
(7) 他の観客の観戦に著しい支障を生じる行為を行ない又はその虞のある者
(8) その他入場を拒否することが相当と主催者が判断した者

入場券を見てからの入場制限は一般常識の範囲内とも言えるでしょうし、そこもひっくるめて乱暴な表現をすると「人に迷惑をかけるような奴は一昨日きやがれ」と言うことでしょうね。これがワルへの「差別」に当たるのなら、善良な一般市民への「差別」を、ワルとその行為を認める主催者側がしていることになります。約款第6条に抵触しなくても、結構迷惑な観客はいたりします。長くなるので割愛しますが。

「差別」か「区別」については、訴訟にまで発展するケースもあります。北海道でもアメリカ人が外国人であることを理由に銭湯への入店を拒否され、日本国籍を取って提訴しても敗訴してしまったということもありますので、特に人種や国籍の差別に関しては注意を払う必要はあると思います。話を聞いてみたら、どこぞの国の船員が日本流の入浴マナーを無視して利用するために、他の利用客に迷惑がかかるということから強硬策に出たということもあったそうで。

改めて記事を書いてみて、差別も区別もデリケートなテーマだなぁと思います。今回は、自分の思考形式を考えてみるいいきっかけになりました。人の思考において差別的な部分をなくすことや、その行動をやめろと強要することもできません。憲法でも「人がどう思おうが自由」と信条の自由を認めていますが、差別的信条をことばや態度に出してしまうことではじめて、「差別」などというものが生じてくるのかもしれません。

自分もことばがきつくなりがちなので、今後も注意していきたいですね。