Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

生きにくさは誰のせい?

4月になって新しい学校や職場に、意気揚々と挑戦していく人もいると思います。逆に、進路が定まらず、髀肉之嘆といったさまで思い悩んでいる人もいるでしょう。いずれにせよ、悩みは軽重を問わず付きまとうものではないでしょうか?

後者の人間を無価値と一刀両断し、自己責任論で論陣を張った挙句非難する行為は、冷酷無比にすら思えます。一人が出来る努力はたかが知れているのに、結果をなじるだけの人間は卑怯者に感じます。いくら社会が成果を求められる場所と言っても、成功を収める時期については個人差もありますよ。それなのに、マスコミもこぞって就労の不安をあおり、無職者へのネガキャンをやっているようでは、就活を苦にして自殺する人だって増えていくでしょうよ。

その人が行っている努力が、正しい方向かつ分量でなされ、さらに然るべき時期で発揮されるのであれば、「努力が実った」と真に言えるのではないでしょうか。いくら努力の方向と分量が正しくても、目標を達成すべき時に不運な出来事が起きてしまうとすべては水の泡になってしまうのです。例えば、俺が司法書士を目指して、司法書士事務所に見習いで入社し、退勤後も予備校に通って勉強する一方で、体調等も万全に整えるようにしていたとします。司法書士の資格試験当日に、交通事故に遭って重傷を負うことになれば、当然タイミングが悪いと言うことになりますね。人生で何が起こるかはわからないものですが、だからこそ日々を大切に生きることが、ここぞと言う時に問われるのではないかと思います。

つまり、俺が言いたいのは、自分や社会のモノサシに相手を当てはめて、その面前で「努力が足りない」と言ってしまうのは、少々キツすぎではないかということです。客観的に見てもどんなに努力が足りなかったとしても、本人がそれを自覚して取り組まない限りは、双方ともに無益なのです。自分も人の事は言えたものではありませんが、人を変えようとするから、ついつい腹が立ったり辛辣なことも言ってしまいます。

俺の経験談を話しますね。俺がプータローの頃、就活もうまく行かずハロワのクソ職員に徹底的に人間性まで非難され、やさぐれていたわけであります。お袋はやんわりと「何でもやってみたら?」と言いますが、親父は「お前がだらしねぇからいけねぇんだろうが!」などと毎度怒鳴っていました。
原因の一つは、発達障害による職務遂行の困難さでした。さらに、追い打ちを掛けたのは、身体・知的優位という障害者雇用の環境に加え、専門職からの誤解・偏見による支援の不備です。

今でも、それらへの憎しみがぶり返すこともありますが、それでも俺が頑張れるのは、辛抱強くそばにいようとする支援者の存在でした。確かに、まだ信頼関係が築ききれていない人もいますが、関係性が堅固になった人から助けて頂いたことは結構あります。毒を吐きまくって暴れてしまうたびに、罪悪感で一杯になっては繰り返してしまうので、本当にどうしようかと悩んでいます。俺は、卑しくも福祉職を騙る似非PSWを一生許すことはありません。憎むべき偽善者として俺は反面教師としていくことでしょう。

発達障碍者の人間関係

過去にもこの手のテーマを取り上げた気はしますが、あえて再考してみることにします。少しでも変わっていたら、それは個性や感性が変わったと考えていただくとありがたいです。

どの障害にも種類や程度はあるように、発達障害にもあります。「スペクトラム」(連続体)という考え方をすると、何となく想像ができるかと思います。つまり、アスペルガー症候群や広汎性発達障害などの境目は、比較的緩やかであるということです。アスペルガーADHDを併発する当事者もいたりします。

発達障害者が集まるイベントでは、特性などによっては「そうだよね~」という共感の嵐がある一方で、すぐに不協和音が生じてしまうことが多々あります。イベントなれしている当事者は、コミュニケーションについてはある程度パターン化しているところもあり、何とか気持ちを立て直すことはできたりします。しかし、人慣れしていない当事者は、周囲の言動に対して過敏に反応してしまいやすいのです。これも一種の「感覚過敏」と言えるでしょう。当事者であっても、ウマが合う合わないなどはあるということです。

自分が施設やイベントで関わりたくないと思うのは、まず自分の行動が周囲にどう影響を及ぼすか想像できない人に出くわした時です。集団生活が苦手なのはわかりますが、グループワークの練習場で我を通すような人は、早晩弾かれてしまいます。俺も誤認等があって、人との摩擦もありますが、極力人と衝突しそんな時には、一人になる時間をいつもより多めに増やします。寂しい時もあるとはいえ、こうでもしなければ自分の場合、人を不快にさせたり傷つけたりしてしまいますので…。極端でしょうが、現実なんですよ。

発達障害者のコミュニティでもこんなことがあるのに、ジコチューな当事者が定型発達者の群れにぶちこまれたら、真っ先にスケープゴートにされた挙句、ハブられるでしょうね。そのことを身をもって知れと当事者に言うのは酷ですが、時には自分自身が経験しないことには学習できないと思います。悲しいかな、俺も絶交したりされたりと、かなりの人間関係を壊してきました。中には人生初のカノジョから失恋ということもありましたが、これも自分の人生でいい経験になりました。逆に、毀したからこそ出来た人間関係もあるのかもしれません。

もしも俺が発達障碍者じゃなかったら

俺は一時期、全能感と周囲から特別視されたい思いで一杯になっていました。そんな王様のような幻想はもろくも社会で打ち砕かれ、ルサンチマンを燃料に突っ走る愚かな大人が今の姿です。

もしも、俺が発達障害じゃなかったら…。

周囲の子供たちと同じように横並びの人生を生き、親に迷惑を掛けまいと必死に努力した末に、どこかの国公立大学を卒業し、世間一般で言うフツーの会社員になって働いていると思います。これもまた憧れる人生です。

ところが、現実はボーダーフリー地方私大を出て、非正規雇用に甘んじ、結局ハロワのクソ職員に非難された挙句、発達障害が発覚する始末。就活しようにも、障害者雇用は身体・知的のパラダイスだし。俺のような発達障害者は、専門職にすら煙たがられ、2年間も棒に振ってしまったわけだし。何度、自分の障害を呪い、社会に対して憎しみを滾らせたことか…。

去年で不惑という年齢まで来ましたが、人生の折り返し地点まできたように思えてしまって、他の生き方にも憧れてしまったわけです。今までの人生は、良くも悪くも「激情型」。良く言えばチャレンジャー。悪く言えば、ムリ・ムダ・ムチャの「3M人生」かもしれません。そんなわけで、住友スリーエムさんに、3M繋がりで、こんな俺を採ってもらえないかなーって…無理ですよねorz

障害者の就労問題に再三再四、物申す!

当事者としての経験から言えば、就労問題の原因は以下にあると思います。

  • 当事者
    • 就労経験があっても、企業実習や見学の経験が乏しいと、職業選択で偏りが出やすい。
      • 特に発達障害からくる強いこだわりや誤認なども関わってくるとなれば、早期から企業に実習や見学に行けるように選択肢を広げていくべき。
    • スキルが多すぎても少なすぎても、施設側の技量によってはマッチングをしくじる。
      • 多すぎる場合は、自分で何でもやりがちなために、施設にどう助けて欲しいのかを把握しにくいし、伝えるのが困難になってくる。少なすぎても、自分に何が出来るのかなどがわからず、応募企業を絞りにくくなる。
    • 自分の経験では、支援者との関係が不良のために、コミュニケーションで齟齬が生じ、マッチングはおろか、支援者側の丸投げを助長することになってしまった。
  • 就労支援の施設
    • 施設長とサービス提供責任者の兼任が多い。
      • 民間企業の視点に乏しい精神保健福祉士が就任すると、自分の中で勝手に作り上げた「社会常識論」を利用者に一方的に押し付けた挙句、好き嫌いで差別してしまうケースがあった。
    • 例えば、就労移行支援事業所なのに、生活訓練の比重が大きくなると、物足りなさを感じ、就労意欲を失う当事者も多くなる。
    • 施設独自で企業への就労チャネルを持てない施設が多く、利用者が世間ずれしたまま能力を削がれ続け、サナトリウム状態になる。
      • 利用者の世間ずれの原因は、施設のみならず法人の体制にもあったりするので、早急に対策を講じるべきである。
    • 営業力のある職員がいないために、企業などと積極的につながっていくことができない。
      • 理想としては、企業に営業を掛けられるくらいの雇用開拓員を別に雇用すべきである。
    • 設立する地域の経済状況や労働市場を十分に調査しないまま、丼勘定で施設を立ち上げる。

当事者と施設の仁義なき戦いを、企業は冷ややかに見ているどころか、完全にどこ吹く風という感じですよね。わかりやすい障害者を雇って「多様化」はいっちょあがり。これじゃあ、発達障碍者はいつまで経っても就職できませんよね。当事者はドブ板戦略やってんのに、施設は自己責任論ふりかざして丸投げするわけだから、本当に始末に負えません。俺はまだまだ努力が足りないのかもしれませんが、就職したい気持ちには変わりありません。

根本の原因は、企業・施設・当事者の気持ちがすれ違っていることだと思います。企業の本音は人材を精査し、追徴金を払ってでもいい人材を雇いたいという思いのはず。個人的には、そんな金払うんなら、施設やハロワの真剣な人間どもを相手に投資したらどうだと言いたいです。あと、トライアル雇用の法改正もしてほしいものです。企業が一度しかトライアル雇用ができないというのも、何とも不条理な話です。恐らく、企業側の補助金目的での申請を水際で防ぐ作戦なのでしょうけど。

確かに、障害者雇用は「障害に配慮した仕事やってんだからさ、我慢してね」という待遇なのはわかります。しかし、境界的障害者ともいえる発達障碍者などは、障害年金や交通割引の恩恵になかなかあずかれず、一般人と同じ生活水準で自立した生活を送るには、無理があります。せめて、企業側に待遇を工夫してもらうか、政府が援護射撃をするかしないと、発達障碍者は「犯罪予備軍」「虞犯障害者」として生き続けることになります。

障害者もバカじゃありません。本気で向き合ってくれている支援者には、喜んでついていきます。口三味線を弾いてばかりの支援者には、即座に袂を分かつでしょう。だからこそ、施設には本気で頑張る障害者の味方であってほしい。企業も追徴金を払うよりも、積極的に制度を利用して障害者に働く場を与えていただければありがたいです。実際、発達障碍者は、仕事の振り方によっては、ガイジ呼ばわりできないほど高機能だったりしますよ?

全体的にきつい論調になってしまいましたが、正直社会に憤慨するところもあるからで…。