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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

言葉のアヤはヘリクツ?

世の中、どんなモノでも「手作り」「手作り風」という紛らわしい表記がしてあって、それがまかり通っているのが正直嫌になってきました。これは前々からキム兄こと木村祐一さんも言ってたことですが、わざわざ「手作り」感を演出することで、売上を出そうというのはちょっとなぁと思う。言いようによっては、ファビョった挙句、「調理人が機械を使ってても、形になりゃ手作りやないかい!」というヘリクツで押し切られそうな気もするわけで。

あと、食材の産地偽装が話題になった時に「おふくろの味」と言っても、作ってんのは「調理のオッサン」じゃないかという指摘もあったそうです。これには、俺もやりすぎだと思ったし、本当に閉口してしまいました。言葉のアヤの問題かもしれませんが、「田舎のおっかさん風いものにっころがし」などのようにしてみるとか。パスタ料理の名前にもあるでしょ。「漁師風」「娼婦風」「おこりんぼ」などのように。それでもダメなら「おっかさんのレシピ直伝カレー」という具合に。

土山しげるの「食キング」では、主人公のシェフが腐敗した五稜郭亭の支店を救う際に、「おかあさんのカレー」というメニューを開発しています。これを作っているのは「おかあさん」じゃなくて、五稜郭亭の調理人です。もはや、こうなってくると隠喩や換喩までに話が及んでくると思います。

エコとエゴの狭間で考えてみた

小池百合子議員?はエコルックを推進されていたそうですが、ご本人は果たしてロハスな生活を送られているのでしょうか。彼女がロハス主義者であることは聞いたこともないし、恐らく自らがバンドワゴンだっただけに過ぎないのかもしれませんね。

企業では、ミスプリの裏紙を使ってOA用紙の使用量を節約するなど、涙ぐましい努力をしているところもあります。しかし、その反面、手書きの履歴書における修正を許さず、事あるごとに書き損じを破棄して、書き直しを強要する風土というのは「エコ」に逆行するどころか、見ようによっては「エゴ」にしか映りません。

余りにも誤字脱字がひどすぎたり、字が乱雑に書かれているものなら、もちろんやり直しして然るべきです。どんなにきれいに仕上げても、訂正印の捺印等による修正を認めないのであれば、「履歴書も公文書である」という前提に矛盾するものであります。

現に、建物工事等における工事請負契約書でも、書き間違えた場合は契約書の上部余白に「一字訂正」などと書いて捺印してあります。それにも関わらず、採用現場では、履歴書の修正を認めないと言うのであれば、実に矛盾しているとしか言いようがありません。「企業の文書では訂正が認められるのに、なぜ一字間違いの履歴書は破棄しなければいけないの?」という疑問が浮かんできます。

間違えない人間など、この世には絶対にいません。どんなに注意していても、事故を起こしたりすることもあるだろうし、ましてや書類の一字程度の書き間違いくらいは容易にあり得ます。書き間違いの訂正くらいで目くじらを立てるのは、「こちらは完璧な人間だから、こちらと同じようにやって当然だ」と強要しているに等しくなってしまいます。

間違いはなくすことは出来ないけれど、あらかじめ対策を練っておいたり、起きたとしても正すことで軌道修正することもできます。恐らく、企業の皆さんは「対策を練って間違えないようにしとけや!」と考えているのかと思いますが、イレギュラーバウンドに対してはそれ以前の問題で、「来た球に対応する」という気構えでやっている部分もあるのではないでしょうか?イレギュラーバウンドは来る方向がわかった時点で、イレギュラーではなくなりますよ。全くわからないから、イレギュラーなんです。

自分もコスト意識を持とうと考えながら、やっていることは実際「エコ」ではなく「エゴ」なんですね。就職活動にしても、実際自分のこだわりが強烈すぎるためかもしれません。もともと、エコとは「エコノミー」、つまり経済性の略。自分の掛けている時間や行動が結果に対して「非経済的」なんですね。ドヤ顔でエコエコと連呼している政治家やプロ市民を見るたびに、自分も彼らに踊らされてきたのかと思うと、「父ちゃん、情けなくて涙がでてくらぁ!」と怒鳴りたくなる衝動にも駆られてきます。本当に情けない。

まぁ、今度から修正をしなくてもいいような書き方を考えてみますけど。ダメおやじの愚痴ブログでした。ジャンジャン!