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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日から5月

ゴールデンウィークは飛び石ですが、職場によっては一気に連休突入というところもあろうかと思います。その直後に懸念されるのが五月病ですね。本来なら、会社に入って1ヶ月してから突如無気力になってしまうことを言うようですが…。

俺は今日、面接だと言うのに、ほとんど眠れていません。その前日になって、親父がアバウトかつブレブレな指示を出して、自分の仕事をやらせるもんだから、お陰でメチャクチャペースが狂いました。それだけが原因じゃないんですが、こっちは面接に意識を集中したいのに、ありがたい家のアルバイトも今回だけは本当にいい迷惑です。俺の収入が安定していたら、そんなもんやりませんよ。

「パワーゲーム」の意味

俺がどんな意味で「パワーゲーム」という言葉を使っているかを、取材の時に編集さんから聞かれました。俺の場合、何がしかの力を使って人を屈服させるかさせられるかという力関係という意味で使っています。例えば、それが職権や地位などの権力、腕力などです。コーチング用語で言う「外的コントロール」に相当するものかもしれません。

典型例は巷にいろいろあります。ヤクザや暴走族のシマ争い、政党内はじめ会社内の派閥争い、軍隊での乗艦と部下の統率、生徒間のスクールカースト、学閥間の争い、生徒と教師の争い、福祉職員と利用者の争い、親子間の争い…などなど、枚挙にいとまがありません。

屈服している方は一方的に曲解もするし、相手に平然と法外な要求をすることすらあるわけです。しかし、させられている方はたまったもんじゃない。怒りのマグマは噴火寸前だし、下手すりゃ爆発して人傷沙汰にまでなりかねないですよ。

とりわけ、福祉でパワーゲームが見られるのは、職員や利用者間だったり、職員から利用者における関係です。後者の場合、特にサイコパス職員から利用者への人格攻撃が顕著です。行動のみをたしなめるべきなのに、それにかこつけて人格を攻撃している時点で、パワーゲームで勝者になろうとしているのです。

あるサイコパス職員の事例では、その人自身が育ってきた家庭環境に問題を抱えたまま成人してしまい、そのルサンチマンを解消するために、パワーゲームでスケープゴートにしやすい利用者を巻き添えにしています。利用者から見れば、実にはた迷惑極まりありません。自分の消せないウップンを晴らすために、利用者をダシにするなんて卑怯すぎるでしょ。

確かに、その人がパワーゲームの被害者であることには同情します。しかし、その被害者感情からムキになって、善意の第三者などを巻き込んでしまうことには、大いに異議を唱えます。機能不全家族の中で発育不全になったいじめっ子が、他の子供をいじめておきながら、挙句の果てには「こっちだって辛いんだよぅ」などと言い訳するのが許されないのと一緒です。

集団で統制を取るのは、パワーゲームよりも、むしろリーダーシップによって行われるべきです。リーダーシップとは、構成員の意見を調整し、組織を統率していける能力の事だと考えています。昔の日本企業はパワーゲームによる統制でもまだやってこれました。国際競争力が企業に問われている現在、リーダーシップのみならず、エンパワメント*1などが管理職に求められ、やりにくい世の中であるのはわかります。

定型発達者がパワーゲームを嫌うならば、発達障碍者は彼らよりも病的にそれを嫌います。俺のように人の言葉に対する感覚過敏も多少出るならば、あからさまな皮肉や暴言は避けるべきだと思います。極端な話、俺の場合、あまりにも皮肉や嫌味、暴言を言う人に出くわすと「コイツは俺の敵だ!」とロックオン状態になってしまうわけです。他意はありませんが、とにかくそれも俺のよくない特性の一つです。

世の中でパワーゲームが常態化してしまうと、発達障碍者は「さもありなん」と周囲と同じようにふるまってしまいます。例えば、自分より弱い障害者がいると陰口を叩いたり、辛辣な暴言を吐くようになります。彼らがそれを人に指摘されると「どうしていけないんだ!」と逆切れしてしまうのも、そういったことがあるからではないでしょうか。俺にも経験があります。

パワーゲームこそ後顧の憂いですので、どうかご一考願いたい次第です。

努力は否定しないけれど…

何でも努力だけでどうにかなるのであれば、世の中のすべての人が成功しています。努力が実らず違った道を行く人もいるからこそ、努力が実る人も出てくるのです。その事実を知りもしないで「悔しかったら努力してみろ!」と誰にでも言ってしまう人に対して、浅羽道明先生の言葉を借りれば「つくづく人の気持ちがわからない人だな」と思うのです。

何の努力もしないで目標を達成できるとは思いません。原辰徳読売巨人軍監督も「中途半端にやって成功してしまうことが一番怖いんだ」と言っているくらいですから、日頃の積み重ねがやはり大事かと考えています。どんな業界でも、その道で成功した人は人のやらない視点で、やりそうにもないことをやって成功していることが多いわけです。

アメリカ横断ウルトラクイズの歴代クイズ王である、松尾さんや田中健一さん達にしても、学校の勉強のみならずプラスアルファ以上の事はやってきたはずです。マジアカやアンアンのジャンルランカーや全国ランカーさん達もまた、同様かそれ以上の努力をしていると思います。俺もランカーさん達にはフルボッコにされているだけに、対戦していてクイズ力のすごさが伝わってきます。

一番嫌なのが、自分の努力を人に笑われることです。自分はめちゃくちゃ努力しているわけじゃないのはわかっているだけに、それを言われると正直むかつくんですよ。じゃあ、どうしろと?寝食や寸暇を惜しまず、ぶっ通しで頑張れとでも言うんですか?それが出来るならやってみて下さいよと言いたいですね。人は寝たり食事を取らなければ、死んじゃいますから。

ドリョカーズ・ハイとでも言っておきましょうか、努力がマゾヒスティック(性的興奮を覚える)になってしまっては、自分が浸食されていくのではないでしょうか。努力するために成功しようという本末転倒ぶりになってしまいます。成功するために努力するのであれば、まだわかりますけどね。目的と手段が入れ替わっては良くないです。

努力は否定しないけれど、最後には自分が自分らしくあれる領域を残しておくべきだと思います。

*1:俺は「構成員の鼓舞も含めた元気づけ」と考えています