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Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

なんだかなー

次のような人などに出くわすと、腹を立つのを通り越して閉口してしまいます。

  • 挨拶も出来ず斜に構えた話し方をするのは、発達障害のせいと正当化する奴
  • 履歴書などをクリアファイルに入れて送付したにも関わらず、ファイルだけ抜き取って三つ折りにして返してくる会社
  • 「俺、何でもできんだよねー」とドヤ顔でうそぶく就活中の学生
  • 否定的な反応を控えるべき会合の場で、出席者の話に否定から入る人
  • 集団で話題を共有している時に、自分の話したい話題をだしぬけに振って和を乱す人

本当に不愉快になるけど、構えば構うほどつけあがる「真正かまって厨」であることが多いので、ムカムカチクチクする不快感を抑えつつ、スルーを決め込んでるわけです。まぁ、この時点でスルーじゃねぇだろって見方もありますが。

確かに、この世を生きるにはある程度鈍感になった方がいいというのはうなずけます。しかし、想像力の欠けた人間ほど、自分の言動が人にどう影響を及ぼすかが浮かばないし、平気で傷つくような言葉を吐いたりするのかなって思います。「言葉なきところに暴力あり」というのは、こういう状況をいうのではないでしょうか。

想像力のことを言えば、俺にも言えることは大いにあります。俺も三つ組の障害を抱えているからこそ、不足した想像力をケーススタディで補ってパターン化しているわけです。もっとも、パターンが少なすぎてドッジボール・コミュニケーションになるのも困りますが、ドラマの登場人物のように芝居がかりすぎるのも周囲をドン引きさせてしまいます。

基本俺は無関神論者ですが、キリスト教の黄金律でなるほどと思ったので紹介します。

「自分がされたいと思ったことを人に施しなさい」

「人が~してくれない」と嘆くのではなく、自分から人にやさしくしていくことを意味しているのかもしれません。自分だったらどうされたいか。自分は何をされると喜ぶか。こう考えると、少しは人にどうやさしくすればいいかがわかるのではないでしょうか。

「働」という字は、「にんべん」に「動く」と書きます。つまり、人のために動いてこそ、初めて働くことの意義があります。その延長線上に、人の役に立てたという喜びが沸いてくるもんですが、ボランティアではなく労働者であれば、労働への対価として給与が雇用先から支払われるわけです。ブラック企業は人のインスタント化と使い捨て化を是としているから、社員の人間的成熟もないし、製品の粗製濫造も当たり前になってくるのです。

旬の時事ネタでは、中国の某食品会社が賞味期限切れの肉を使ってハンバーガー用のパティやナゲットを製造し、既に日本では2割にあたるマクドナルドの店舗に流通させたとのことです。こういったことをしている時点で、中国人や日本人からも信用されてませんし、食の安全だって保障されないと証明されたようなものです。

マクドナルドも、函館近辺とはいえラッキーピエロがなぜ繁盛しているかを考えた方がいいと思いますよ。ただボリュームがあったり、コスパがいいという理由だけじゃないんです。従業員も心から来てくれてありがとうという笑顔で働いてるし、店ごとに差別化を図って魅力ある店舗づくりをしている努力が実を結んでいるんです。俺もラッピは学生時代から食べてるから青春の味だと思ってるし、また行きたいと考えている次第ですよ。

俺も学ぶことはたくさんあります。…まだまだ、学び足りないし。モスバーガーの桜庭会長がいっていたのは「一生勉強、一生感動」です。知識欲と好奇心旺盛なところは、俺の発達障害特性によるものも大きいですが、向上心を持って取り組んでいきたいですね。