Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

障害者へのスティグマ

今回は障害者に対するスティグマを取り上げたいと思います。

端的に言えば、スティグマの根底にあるのは、「健常者」「障害者」という二元論的な価値観です。それを個性や違いとして受け止められる人は問題ありませんが、障害者独特の行動様式に拒否反応を示す人などは完全に嫌悪感を抱いてしまいます。やがて、それがスティグマに変わってくるのです。

自分の持つスティグマを正当化するために、障害者を色眼鏡で見たり、悪口以外に肉体言語に訴えることも多々あるわけです。俺が学校で講師をしていた時に、DQNの生徒(健常者)から「ガイジ」と揶揄されたことがあります。これは彼がスティグマを明らかに抱いているし、かつ俺を下に見ているわけです。10代のクソガキ*1だから、若さ特有の全能感で満たされてるし、本人が認識できないと何言っても無駄なんです。こうなると、大人のケンカでよくやる常套手段として、法律に訴えるなどの駆け引きでやるしかないのかなって思います。そういうバカに限って、少年法を盾にとるわけで始末に負えませんが。

障害者間のスティグマや、先般説明した事例と似たパワーゲームもよくあることです。これは、いろいろな障害者が集まる場所で起きやすいです。例えば、衝動性が優勢だったり、自分の言動への想像力が弱かったりする当事者がトリガーマンになってしまう環境だと、そいつ中心にパワーゲームは起きるし、集団でもスティグマどころかルサンチマンだって起きてしまいます。受動的で怒りを溜めてしまうタイプであれば、トリガーマンどころか無関係な人を巻き込んで爆発してしまうこともよくあります。このようなことを、俺は経験してきました。

確かにスティグマはよくありません。しかし、その原因になっているものを取り除かなければ、怒りはたまるし、スティグマだって大きくなっていきます。障害者同士であれば、健常者よりも厄介なものになりかねないのではないでしょうか。次に、自分が実際経験したもう一つの事例を紹介します。

チックや行為障害のひどい利用者がいたとしましょう。その人の行動で自傷他害が起きているのなら、他の利用者を守るために然るべき対処をすべきだと思います。作業中に関係のない話題を他人に投げかけたり、自分の問題を作業場において大声で職員にぶつけることで、作業の妨げになっているのであれば、他害同様に本人に向き合わせる必要はあるでしょう。障害があっても出来ることを増やしたいのは本人だけではありませんし、他の利用者も根底に似た思いがあるから来ているんです。本人がそのことを理解できなければ、学校で言う出席停止などの扱いも必要でしょう。

人権屋や保護者あたりは「その人(うちの子)だってがんばってるでしょー!フジコー」などと言い出すかもしれません。施設側がそういった声に負けて、その利用者の行為を看過してしまえば、周囲の人間はその人のみならず、その人と同じ障害を持つ人も十把一からげにして叩きかねません。話してもわからないのであれば、契約条項を持ちだして、最悪の場合、本人と保護者を同席させた上で、契約解除をしてもいいのではないかと思います。一人のために集団の士気が下がり、荒廃してしまうのであれば、然るべき行動を取ってもいいのではないでしょうか。

施設と利用者のみならず、職員と利用者、そして利用者同士にも相性というものがあります。どんなに頑張ってもこの問題は解決出来るというものではありません。どうしてもなじみにくければ、施設同士で連携を取って、移り先を都合するくらいはしてもいいでしょう。本人の思いとしては「オレ(ウチ)を排除して何が楽しいんだ!」というのはわかります。俺もかつて今の施設を職権で追い出されそうになりましたし、当事者として今でもその時の状況がフラッシュバックして行動に出るほどです。だからこそ、その人にも俺の前轍は踏んでほしくないと言う思いもあります。

結論として、障害者へのスティグマの原因は、理解不足と誤解に尽きると思います。障害者を知らないから怖いというのは、よくわかります。人見知りの一部分は、ある種の対人不安も少なからず関係しているからです。その不安を和らげるために、安直にラベリングしたりするのは、人間が当然取る防衛機制でもあるから、目くじらを立てても仕方がないという気持ちもあります。その事実を受け止めた上で、俺たち障碍者は辛抱強くいろいろな人と接していくしかないのかなと考えています。相手がどうしてもこちらを嫌ならしょうがないし、わかってくれたら嬉しいというスタンスでやっていくつもりです。

のび太と多目くんが教えてくれたこと

ドラえもんで有名なエピソードの一つに、のび太と多目くんの話があります。のび太はいつもクラスで最低の劣等生ですから、多目くんというより下のクラスメイトが出来ておもしろいわけです。のび太よりも、テストの点数も低く、かけっこも遅い。しかし、多目くんはそのことよりも、マイペースを貫いている様子。この話を読んでいると、定型発達のクラスに放り込まれた発達障害児たちが競っているようにも見えてくるのです。

ある日、ジャイアンたちの野球に行きたくない余り、のび太は多目くんを推薦し、彼に野球をやらせてしまいます。その様子を見ていたドラえもんが入れ替えビデオで、多目くんとのび太を入れ替えた状況をVTRにして見せるわけです。今までの行動を恥じたのび太が急いで空き地に行くと、ジャイアンズの敗北の責任を取り、多目くんが鉄拳制裁を受けようとしている場面に出くわすのです。彼をかばってのび太ジャイアンに暴力を受け、この件は落着します。多目くんは親御さんの事情により引っ越すことになり、のび太を「君は今までで最高の友達だったよ」と言って涙ながらに去っていきました。

藤子先生は、発達障害児が定型発達のクラスでもがき苦しむ様を知ってか知らずか、「発達障碍あるある」を見事に表現しているなと感服しました。もし、仮にのび太や多目くんが現在の小学校にいたら、真っ先にいじめの対象にされかねないと思います。今の普通学校においても、発達障害への配慮は良くなっているほうでしょうが、スティグマに関して言えば今の方がひどい気はします。学校にもよりけりかもしれませんけどね。今は発達障害支援のノウハウ確立への過渡期ですので、支援に著しいバラツキが出て当然だからです。おがるのように支援者を支援する組織がある自治体ならいいが、そこにありつけない自治体なら本当に悲惨です。

タイムリーなネタではありますが、どこぞで学力テストの点数が低い学校と校長名を公表し、競争心を促していたということがありますが、このように熾烈な自治体の学校に彼らが行ったら、勉学不振を理由にいじめを受けているでしょう。確かに、教養としての学問や勉強は大切です。点数を取るだけの勉強で、「知恵」に繋がりにくいのであれば、これは教育の敗北です。大切なことは、障害の有無に関係なく、社会性やライフスキルを身に付けて、自分の人生を築き上げていける人間に育てていくことではないでしょうか。

オールラウンダーとニュータイプ、どっちがいい?

戦力になるのは、出木杉英才のようなタイプAのオールラウンダーだけではありません。常見陽平さんが「僕らは所詮MSのジムである」でも言っているように、ジムであってもそれを受け止め、自分が集団で出来る仕事をこなし、ジムスナイパーカスタムなどにレベルアップすることが大切なんです。アムロ・レイシャア・アズナブルのようなニュータイプが活躍できたのも、双方の物量戦や情報戦があったからなんです。モビルスーツに乗ることが出来なければ、アムロはネクラなメカおたくだし、シャアはキザなマザコンロリコン野郎*2なんです。

組織側が人の能力やイイトコを見る目をジャンジャン養って、然るべき環境に発達障碍者を送り出せれば、出木杉以上の逸材になることも十分あり得るわけです。発達障碍者もそういったご厚意を感じられれば、カミーユ・ビダンばりに自分の力を開放してしまいますが、力加減が分からずフルパワーで突っ走ってバテてしまうだけなんです。そこらへんはパソコン作業などをやらせてみて下さい。パソコンの得意な発達障碍者はたくさんいますので。

何度も言ってますが、出木杉のようなオールラウンダーばかりいる社会だと、結局出木杉はただの秀才でしかなくなるわけですよ。彼が、一般的なクラスで白眉として見られているから目立つわけで。ガリベン君による深夜のイタ電攻撃もうけるくらいですからね。こういうのを見てると、東京大学で天才型学生とガリベン学生がしのぎ削ってる様子を見せられているような気がして嫌だね。確かに東大にはユーグレナなどのベンチャー企業があるからすごいんだけどさ。

極論ですが、俺は社会が発展するのなら、何でも屋や専門家、どちらもいてもいいと思います。いや、どちらもいるべきだと思う。彼らが新しい希望を俺たちに見せてくれるのなら、俺は快く応援したいですね。

*1:そいつと同世代のために言うが、10代の人間が全てバカじゃないからね。そいつがクソガキであるだけです

*2:その性格は逆襲のシャアで見られます