ようやくツイート貼り付け
昨日flash playerとIEを更新したためか、いつもうまくいってたツイッター貼り付けがうまくいかない。連携取り消ししてからまた連携したらうまくいった。本当にてこずらせるなぁもう。
この機会だから心に響くツイートを紹介させていただきます。まずはこれ。
若くして出世できてるってことは先回りして抜きん出る実力があるところを見込まれたのかも知れなくて、みんな自分と同じことができる前提で仕事を回したいのかもしれないけど、結局は実働はできるけど人を見るリーダーの素質はないのと同じなのでさらに上の采配ミスなのかなと思う。
— イシゲスズコ (@suminotiger) 2017年1月10日
このようなリーダーの下で忸怩たる思いをしたことがブラック企業勤務時にあった。他の社員がやる仕事はできていても、「上司」としての資質などに欠けている。確かに仕事はできるし人の倍以上の働きをしていたが、判官びいきやスキャンダルでミソをつけてしまった若き管理職はいた。職場にいる以上は人の好き嫌いを脇に置かねばならない時は多々ある。それが出来なければ学校のいびつなヒエラルキーと同じ。
まさに上層部の采配ミスと言えるのではないか。
リーダーの資質を少しでも感じた若手に指揮を執らせた方がよいってのも正論。リーダー未経験だと日本では非難されるわけなんだよな。しかし、リーダーに向いてないとかやりたくないって奴にまで無理やりやらせるのも時間などのムダ。年功序列の人事が生み出した弊害って組織を動かしていくリーダーの苗床が不足するって事態なんだね。お飾りの管理職ならショムニの井上課長と同じ。たまに彼のような人もいてもいいけど、多すぎると組織自体が持たなくなるだろう。
俺の経験から言うと、人としての感情を大切にできる人にリーダーになってもらいたい。俺が上司からされて一番嫌だったのは、俺が熱発でフラついてるのに「何チンタラ歩いてんだ、ゴルァ!」と罵声を浴びせられたこと。俺を人間として尊重するのなら、少し距離置かれた方がまだよかった。罵声浴びせるってこと自体、俺を奴隷とか家畜みたいな扱いをしてるんだよね。俺はこの上司を絶対に一生許さない。
自己肯定感が高い人(自称)で「自分の意見が絶対でそれ以外はどうでもいい(取るに足らない)」とか「気に入らない人はぶっ潰したい」みたいなことを頻繁に言う人を見ていて、それはなんか自己肯定感が高いっていうのとはちょっと違うんじゃないのという気がすることが最近増えた。
— えりか/えりぴこ (@ericca_u) 2017年1月9日
自己肯定感の高い人と利己主義者は相反している。自己肯定感が高いのなら、相手の存在も認識したり尊重できる余裕がどこかにあるのではないだろうか。すべての人にそうする必要はないが、合わない人がいても「なるほどー」とうなずいて離れればいいだけのこと。「自己肯定感が高い人(自称)」ってのは、自己肯定感が高いように見えて、あまり高くないのではとも思う。自分に許せない部分が人のどこかに見えてしまうから怒りを感じてしまうんだろう。
自己肯定するのに、人を攻撃する理由がどこにあるというのが俺の思いなんだよな。
他にも、紹介したツイートはありますが、またの機会と言うことで。
俺のツイートはどしどし紹介するのもいいですが、埋め込み先のブログもコメント欄で紹介してもらえるとうれしいです。