Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

久々にブログでいいたいことを

最近までは、もっぱらTwitterばかりやってました。
140文字で自分の思いを伝えるのは少々きつくなってきたのもあって、たまにブログでも語ることにしました。

特に言いたいのは、見えにくい障害者への選択肢の少なさについてです。

身体障害や知的障害の当事者については、従来の福祉制度にある特別支援学校や就労移行支援事業所などが考えられやすい。
しかし、発達障害精神障害だと無理矢理普通教育や一般就労に過剰順応するか、それらの支援を受けざるを得なくなってしまう。

それじゃいかんのだと俺は思うのです。

現に引きこもりや発達障害者等の支援が不足しているどころか、引き出し屋や悪徳福祉事業者など福祉ヤクザの跳梁跋扈を許してしまっている。
例え順法精神をもって取り組んでいる事業所であっても、福祉的見地や制度上のしがらみで職員はおろか利用者も「サーカスの象」状態になっているのは
断固として許してはなりません。

俺は4年ほど事業所に通っていましたが、PCを使えるようなデスクワークではなくそれと無縁の肉体労働が主体の小売業に就職してしまいました。
就職してから2か月ほどは定着支援もありましたが、施設側の人事のごたごたでそれも立ち消えになった挙句、職場での人間関係の衝突に介入も
してくれずお局一派の反感を買うだけの支援でしかありません。

現在、なかぽつにも支援を求めていますが「コロナパニックで求人も激減」の一点張りで一つも求人にありつけていない状況です。
さらに優良求人紹介所にも登録しましたが、同一賃金等の改革の煽りで担当者が奔走している様子です。
主治医に不安を吐露するとコロナパニックの揺り戻しは必ず来るとは言われましたが、正直いつ来るのか見当もつかずため息ばかりです。

福祉制度の崩壊がコロナパニックによってさらに加速しそうな勢いだとにらんでいます。
キラキラ障害者の幻想にしがみついてる場合じゃなくて、ギリ層も戦力として取り込める仕組みを作らなければ、日本の福祉行政は敗北宣言をしなければならない。

俺だって薬の副作用(胸やけや口渇)に耐えながら肉体労働してんのよ。
本当ならばPC使って仕事したいですよ。それをさせてくれないのは、俺の努力不足やら自己責任だけのせいにされてもマジでかなわんわ。

親から見た息子の発達障害

今日は、今年2つ目の面接でした。

3対1形式で行われたのでかなり緊張しました。
さらに薬の副作用も手伝い、喉が渇いて仕方ありませんでした。
面接は30分ほどで終わりましたが、酒のスーパーで1時間ほど買い物して
さらに10分ほど離れた店でパンケーキを食べて帰宅。

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リンクは隣のイタリアンレストランですが…。

今晩、両親に話したら、母親から次のような返答がありました。

「あんたは他の人と違って、自分で必要な情報を得て動くってことが出来てるんだよね」

確かに、就労移行支援事業所へ通い始めの2年間は本当に屈辱感にまみれていましたが、
その経験からなかぽつにしっかりと繋がることが出来たというのもあります。

発達障害者がみんな福祉や支援にありつけるわけでもないし、ひどい話役所や法人の不手際で
然るべき手段を取れない人が多いのを聞くという現実です。

ましてやロスジェネの発達障害者は将来を考えると焦眉の急。
マジでどーすんだよテメェってレベルですわ。

今週のお題「2020年の抱負」

あけましておめでとうございます。
晦日から2日にかけてウィルス性胃腸炎でダウンしてました。

昨年の暮れに買った酒に手を付けられず、涙を呑んで静養…。

昨年からようやく転職活動に本腰を入れられるようになってきたので、
今年で転職活動に終止符を打ちたいです。

来週か再来週あたりに某社との面接が控えているので
どうにか採用にこぎ着けられたらと思っています。

俺の御用納めはまだ終わらない

今勤務中の業界はみんなが休む中で働くのが常識ってなってるわけです。
障害者雇用枠で入ってるために、日曜日だけは休みにさせてもらっているけど、
正社員で入ろうものなら高い能力を求められる上に、休暇取得にしても不自由。

前、売り子をしてた時は繁忙期は月4日休みの最大10連勤は当たり前だったので、
土日祝休める職場がいいなぁと思って今も転活していますが、自分では不満足だなと
思っています。来年こそ成果を出したいです。

今日休んで、明日明後日と働けば、元旦から2連休。
本当ならば、正月気分を満喫してから復帰したいなと思いますけどね。

2019年悲喜こもごも

久しぶりにブログを更新しました。

ようやく、目途が付きそうだけど、まだ気が抜けないですね。
今余裕のあるうちに書いちゃおうと思います。

今年は「挑」の一文字に尽きます。

まず、大きな挑戦としては、国家公務員と地方公務員の障害者選考を受けました。
国家公務員は一次で落ちる一方、地方公務員では二次面接まで進むも不合格でした。

某特例子会社も受けたけど、一次試験で落とされました。
後で話聴いたら二次にWeb適性検査で、三次に最終面接ってどうなってんのって
思ったけど、どこまでも強気なんだなって感じはしました。

一年があっという間に過ぎるのを体感するようになったのは、とうとうジャネーの法則
該当するようになってきたんでしょうかね?(笑)

今月に某大手企業の書類選考通過して面接までこぎつけたとはいえ、俎上の魚でしかないなって
気持ちですね…。

来年はお互いに切磋琢磨できる一年でありますように…。

久々に。

1か月ほどブログを放ってツイートばかりしてましたが、結局何も変わらずと言ったところでしたね(笑)

今回はF欄卒当事者として、F欄大学を語っていきたいと思います。

Fランク大学が抱える負債

俺の出た大学は偏差値40以下の地方5流大学でした。20年位前は1学年400人ほど、全学年で1200人程度はいたんじゃないかと記憶しています。今では全学年で400人程度、1学年定員が100人という有様です。

自分が推測する範囲ですが、以下の原因が考えられます。

  • 学歴フィルタの餌食になる学生が増え就職率を確保できなくなった
  • 女子学生もしくは入学希望の女子生徒が減少していった
  • 受験生も高偏差値の大学を目指すようになり、F欄は対象外とされた
  • 教授陣の引き抜きにより有望株が有名大学に流出した
  • 少子化の煽りを喰らい受験料収入での学内立て直しがきつくなった

など

少子化の煽りを喰らう→受験生や教授陣が有名大学に流れる→学生を確保できない→知名度がダダ下がり…という負のスパイラルに陥ったことは容易に見当がつきます。中でも女子を確保できないと言うことは、F欄化へのアクセルをベタふみしてしまうのと同じです。俺の時でも女子学生は4分の1ぐらいはいたけれども、今では2、30人いるかというレベルですね。

Fランク大学が抱える負債は、カネだけにとどまらないと思います。一番大きいのは人的資本の縮小化です。定員を少なくして、学生に対してきめ細やかな育成が出来るのならまだいいが、現状は青息吐息ではないのでしょうか。

学生が期待するのは、卒業生の会社とのつながりかと思います。現に慶應義塾大学には長年卒業生が培ってきた人的ネットワークがありますし、それを学生もうまく利用して就職戦線を立ち回っているわけです。残念ながら、Fランク大学でこのような戦略が出来ているところは聞いたことがない。

今やFランク大学が迎えているのは、淘汰の時代です。生き残るための適切な戦略・戦術を見出し、活路を拓いてほしいと言う願いもあります。ここまで来たら少数精鋭かつ緻密な育成に特化するしかないとも感じます。まだ人数的に余裕のあるFランク大学対岸の火事として思わないでほしいです。わがことのように向き合っていただきたい。

今週のお題「わたしの好きな歌」

1990年代、俺はがむしゃらに突っ走っていました。ADHDの衝動性・不注意性とは知らずに必死に走ってきました。迷うこともありましたし、その重圧から泣くこともありました。

高橋ひろさんの「太陽がまた輝くとき」を聴いていると、自然に背中を押されているような気分になっていきました。

もう振り向かないで
君が決めた道は 君しか知らない夜明けに続いてる

この一節は自分にとってものすごい衝撃を受けましたし、編入試験も頑張ることができました。

唯一の後悔は、俺が発達障害を知らずに学生生活を過ごし、福祉の恩恵にあずかることができなかったことです。自分が本格的に障害者福祉を受けられるようになったのは、40歳手前のことでした。

今も迷ってばかりの人生ですが、太陽がまた輝くときが聞こえると当時の自分を思い出してまた歩こうと思い直す日々です。

皐月の終わりに

水曜日は毎度の休み。木曜日は研修、そして今日はかねてからお願いしていた休みで三日も会社を空けてしまった。
来月から頑張らないと。

今日で事業所のアイドルにしてベテランのAさんが有給消化からの退職となり、お別れ会をみんなで開いた。
最初、メンバーが10人程度で済むかと思ったが倍以上になり、イモ混雑になりながら彼女との別れを惜しんだ。
短い時間の中で話すことは限られたが、それでも満足した。
途中、フォトムービーがフリーズするというハプニングに見舞われたが、二回目でうまくいってよかった。

記念撮影を屋外で行った後、室内に戻りAさんと2ショットでの撮影時間に。
その様はまるでAKB48のファンミみたいになっていた…。
帰宅して夕食後、バケツをひっくり返したような豪雨が降り、別れの寂しさが今になってこみ上げている。