決め付けられるのは嫌だ…
先ほど知人の所に、母と一緒に快気祝を届けてきたが、丁度夫妻揃っていた。
そこでも色々と言われ、「お前の病気は本当は違うんだろ?」といわれたのには
正直参った。言ってくれるのはありがたい。
しかし、一方的にしゃべくられてこちらの話す余裕すら与えないのはどうかと思う。
今日の夕食でも両親から俺の人生についてペチャクチャいわれ、ホントへこみました。
「お前がどうして職見つからないといっているのがわからない」といわれて悲しく
なりましたね。どうにもならない苛立ちと、万全ではない体調が重なって体に
感覚として出てきているのがわかります。
さらに、心のどこかで「それは違うだろー!」と叫びたくなっている自分もいるのも
何となく感じます。感覚を味わいつくすところまで言っていませんが、感覚を味わうと
いうのはこのようなもんだろうかと考えながら、今晩過ごしてました。
決め付けられたら嫌なのは、多分みんな同じなんだなとつくづく思いました。
迷惑かけてしまっていることなら謝罪などの行動を起こさねばなりませんが、
そうでなければなんで決め付けなければいけないのよと言いたくもなりますよね。はい。
百歩譲って「日常生活に支障をきたしている状態」は言われても当然と考えるにしても…。
一番やる気無くしたり自暴自棄になったりする一言ってこれなんですよ。
「お前はこれだからダメなんだ!」
この一言は人や時期によっては大変よろしい言葉なんです。
しかし、頑張っている人に対しては反発や自己欺瞞、他者不信を煽る言葉でもあります。
逆にいって欲しい言葉は、「俺(私)は応援しているから」とか「又話してね」という
言葉です。言葉だけではなく、態度にも滲み出ていると非常によろしいです。
いつも行っているセンターの人たちにこのことを教えられ今に至るというもんです。
現代社会では目に見えるものしか信じてもらえないので、今回俺は「資格がないから
お前はダメなんだ!」と親から言われたんです。
つーか、わかってること言われるとムカツクし、しかも毎度の如く言われるとガンコ親父
人形かと溜息をつきたくなることもあります。
俺のような人生の落伍者にもなりきれない輩からしてもムナクソ悪くなります。
ま、両親とこのようなケンカを遅くするということは多分「遅れて来た反抗期」なのかも
しれません。あ、これってカンニングのコピーだ。やべぇ、竹山と重なってしまうな。
めがねとブチキレ、小心者は重なるにしても、体格と髪型が重ならないので違う部類に
なりますね。では。