Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

なぎらさんも大号泣だろうが!

なぎら健壱の「受験生ブルース」という歌があった。
これは受験生の悲哀をあらわしたフォークソングだが、
俺もこれに似たような経験をしたこともある。
勉強はホントできなくて、高校あたりからようやく
人並みについていけるようになったわけです。



しかし、ヤンキーがいじめるもんですから、余計に勉強も
やりにくいですね。元ヤンキーの根性は確かに立派だが、
元ヤンキーの武勇伝ばかりを振りかざしてばかりいるのは、
ガード下のよいどれオヤジ以下だ。
元ヤンキーを語るなら、「俺はこの仕事でプロです」と
言えるもんを見せて欲しい。少なくとも、シャミセン元
ヤンキーと、根性のあるプロの元ヤンキーは見たことがある。



あ、このニュースをみてもらいましょうか。
ソースは北海道新聞のサイトからです。

5人に1人勉強せず大学へ 「全入」迫り意欲低下か(09/22 15:19)

 大学進学者の5人に1人が高校3年の時に家でほとんど勉強せず、2人に1人は勉強時間が2時間以下−。「大学全入時代」が目前に迫る中、高校生の深刻な勉強不足の実態が22日、2005年度時点で高校3年生だった生徒を対象に、東大の研究グループが実施した全国的な追跡調査で分かった。

 少子化や大学定員の増加に加え、推薦入試、アドミッション・オフィス(AO)入試の拡大などで受験競争の激しさが緩和されたことが、高校生の学習意欲の低下に影響しているとみられる。

 05年秋の第1回調査で、1年の時、平日に家や塾、図書館などで勉強した時間を振り返ってもらったところ「ほとんどしなかった」と答えた生徒が59%と最も多く、「約30分」13%と「約1時間」17%を加えた「約1時間以下」が89%を占めた。

 調査を担当している東大の金子元久教授は「高校の学習内容が生徒の学習意欲に合致していないのではないか。教育再生会議や中教審の議論は小中学校や大学に目が行きがちだが、高校生のこの状況は深刻だ」と話している。

うーん。これって勉強時間だけの問題じゃないんだわ。
どれだけ勉強して、自分の知識として蓄えているかなんですよ。
「勉強ヲタク」に続いて「チャランポラン学生」の量産が始まると
思うと、日本も世界各国で恥を晒しはじめるのかと嘆きたくもなります。



俺は編入試験を受ける際、独学で勉強しました。
卒論を急ピッチで仕上げ、授業を受けつつ、大学内の図書館に
入って勉強してました。当時、田舎の大学でしたから、問題集や
参考書は、書店で取り寄せたりしました。



勉強の甲斐あってか、何とか勉強した範囲の問題が出てくれたり
してよかったです。面接では、いろいろと苦労しましたが、
当時自分の面接官だったT先生がおっしゃった言葉が印象に
残っています。



「もしあなたに教科(英語)の実力がなければ、教える生徒を悲し
ませてしまう」



このことばに自分は内心愕然としつつも、どうか勉強させて下さいと
懇願し、受験者3人の中から無事自分だけ合格となりました。



編入という経験は誰もが出来るものではないと思います。
ご両親の経済事情もあるだろうし…。幸い、自分はオヤジが
馬力があったころでしたので、よかったと感じています。



推薦入学で入っても勉強したりする学生ならいいんです。
入ったもんがちで、遊び呆けて単位も取ろうともしない
学生なら、大学側も「入学権取り消すよ!」といいたく
なるでしょうね。



自分は推薦入試を受けても不合格組だったので、その悔しさも
原動力になったんだと思います。



そもそも少子化を招いたのは、日本政府の失策です。
その尻拭いを国民に求めるのは、いかがかと言いたい。
物価も高ければ、ダンナの職も無い、あっても給料が安い…
となれば、学資保険があっても大学へやれるかどうかってのが
関の山だろうが!こういう状況の人たちを何とか救ってやれない
のかねぇ。ま、給食費を払わない家庭もあるから世も末かもしんない。



公立・国立大学なら授業料も安いから、まだ負担は少なくなる。
しかし、私立大学なら国立大学以上に負担は大きい。



俺も改めて無職や企業いじめを体験してみてわかったのは、
ずっとそんな状況が続くと「どうせ俺は何やってもダメだから…」
などということばが口をついて出るようになるということです。
既に諦観してしまっているんです。



ハローワークをはじめ、いろいろなところへ行くと善意のある方々
から元気をもらえるんです。自然に挨拶も出ます。「こんにちは」
「おはようございます」等々…。
でも、悲しいかな彼らは後ろ向きの人間には、振り向いてくれません。



学校の体質や教師の影響も大きいと思うが、授業をジャマしたがる
奴らに言いたいのは「一度は勉強漬けになるくらい勉強しろ!」と
いうことです。本当に悔しくて仕方ないのなら、心のどこかで
火事場のクソ力みたいなものが働くってもんです。
それでもやってみてダメだったら、俺はとことん話を聞く覚悟で
いる。付け加えるが、結果がどうであれ、過程を大切にしてほしい。



今の受験事情をなぎらさんが見たら、多分号泣するか、呆れて
帰るかのどちらかだろう。



資格試験にしても、弁護士や司法書士などの法曹界に入るには、
大学卒業して浪人を繰り返しても受ける人もいるという。
中には10回近く受けて落ちた人もいるのを聞くと驚く。



昔、相原コージが当時の受験戦争を皮肉ったマンガを描いたことも
あったが、オチは「天国へ行くのにもやっぱり試験はあった!」
というもので、中学生だった自分は背筋が凍る思いをしたのを
覚えている。



受験は必要悪なのかもしれないが、ただフルイにかけてばかりだけの
試験は無意味である。自分が高校受験の頃、成績分布表というものを
担任より見せられて、あんたの場合当日の試験点数が悪いとここで
「足きり」されるよといわれ、受験のおぞましさも感じたこともある。



今日、某団体主催の英検相談会なるものに参加したが、準一級での
トラウマを語っているうちに制限時間になったが、結局基礎はある
程度できているのなら、問題を解いたり、単語を紙に書いて覚えたり
して行ってみてはといわれました。あと、楽しんで勉強しろとも
言われましたね。教師時代にいた嫌なエリート教師も来ていたので
そいつさえいなかったら不愉快な思いはせずに済んだんだけどね。



来月、折りを見てセンターの方と相談してみることにします。
長文ですみません。