Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

中学校での俺は…。

バスケ部にいましたが、常に補欠以下で、脇でシュート練習等を
やっていました。これでは上達の実感すらわきません。
唯一うれしかったのは、2年生のとき放送局員になれたことでした。
裏方も実際やってみると楽しいもんだし、朝の校内放送ではレコードを
かけ、アナウンサーの女子にやってもらうというのもオツでした。



勉強はダメだった。もうだめぽどころか、下手すれば最低ランクまで
リーチかかるところまでいくという状態でした。北海道でレベルが
低い部類に入る当時の新設校(年数が設立30年くらいの学校を言う
らしい)にも不合格で入れなかったというテイタラクでした。
父が数学を使う仕事をしているのに、数学が苦手なバカ息子ゆえに
弟も俺と同類項にされて苦労していたようです。



当時はベビーブーマーの時代で、無名の私立高校には公立高校でダメ
だった奴が集まると言われていました。自分はホント数学が出来な
かったので、国語と英語で点数を稼いで高校に入りました。
入った高校もヤンキー高校でボンタン、短ラン当たり前という世界の
高校でした。「勉強?ハァ?」という奴が多く、勉強したい奴の邪魔
するDQNがタムロしていたのも日常茶飯事です。中学校時代の終わりも
貧乏くじを引いたなぁと泣きたくなるほどでした。