Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

3日に認定日を迎えます

10月3日の午前中に失業者認定日があり、書類を提出するわけですが、
一度その様を端で見ているので、いざ自分がなるとぞっとします。
拡声器で一人ひとり名前を呼ばれて、失業者認定を受けるのは
いささか屈辱にも感じます。社会の脱落者になったって感じがして…。



今日、就職相談を受けましたが、自分の書いた履歴書を見て職員さんは
「つっこみ所満載ですね」と苦笑していたので、バカにされた気分に
なり思わず泣きそうになりました。それでも我慢し、履歴書と職務経歴
書の書き方を教えてもらいました。



今思えば、無事就職していた場合「俺は勝ち組だぜぇ」と高飛車になって
いたかもしれません。



大学行っても就職できなかったのは自分の責任かもしれません。
しかし、努力しても「不況」の壁は乗り越えられなかった。



自分は支援センターでいろいろな障害者などを見てきた。デイケア
通いつつ手当だけで暮らしている人もいれば、職親制度を使って何とか
暮らしている人もいた。



たいてい、ここにいる人たちは純粋だったり、思いやりにあふれて
いたりする。しかし、社会では地域エゴや偏見などによって、社会
の片隅に追いやられている。



無論、俺もその一人だ。法律が障害者の救済を是としているにも
関わらず、社会は何も変わっちゃいない。地域エゴや偏見の壁も
あれば、いろいろとある。



優生保護法という法律が最たるもので教師や公務員など180くらいの職種
において、障害者の就労が制限されたりすることもある。
ひどい時には、障害者が妊娠した場合、本人の許可なしで中絶手術を受け
させることも可能とも書いてある。
これじゃあ、ナチスドイツやショッカーと一緒だよ。



べてるの家の本にも書いてあったが、かつてナチス兵が精神障害者を毒殺
しようとした際、かくまっていた神父が「彼らを殺すのなら、私たちを
殺してからにしろ!」と兵士に噛み付いた。兵士はその気迫におののき
その場を去っていったという。



障害者も人間である。この前提を忘れてはならない。
福祉行政においては、友人の話を聞いたり、本を読んだりすると、
日本がいかに後手に回っているかがわかった。



最初は俺も彼らが怖いと思った。しかし、彼らはうまく表現できな
かったりするだけであり、話してみるといろいろと辛い思いをしている
こともわかった。



理解しようとする姿勢は大切だが、しゃちほこばっては相手に伝わって
こちらを敬遠してしまう。とにかく、一人の人間としてしっかりと対応
するのが大切だとつくづく思う。だめなものはだめだと断る勇気も
忘れないで置いた方がいい。



センターのみんなから教えてもらったことは、「今をどう生きるか」
である。英語では"seize the day"という表現を使いますが、直訳すると
「日を掴む」ということです。つまり、一日を一生懸命生きろという
ことになります。確かに、将来は漫然とした不安ばかりです。
しかし、今どうすべきかを考えて行動するしかないと思っています。