Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

人間は失敗する動物である

多分、このようなことは先人がすでに言っているのかもしれない。失敗から成功に転じた
例もある。たとえば、ノーベル科学賞を受賞した島津製作所の田中さんが、ある物体を
混ぜ間違えたことで新しい発見をして、注目を浴びたということである。



なぜ、優れた日本人は海外へ流出したがるのかというと答えは簡単。
人生で失敗する権利がなかなか認められないということと、天才を育成する器が無いこと
に加え、方法論が稚拙なのだ。日本人のメンタリティが「ユニークさ」を互いに認められ
ないところにあるのも特徴といえる。



野球で言えば、イチローや新庄は、野球の権威から言わせたら「邪道」の一言で一蹴する
かもしれない。…が、彼らは結果を見事残した。彼らでなくても、「その人にしかでき
ないもの」が必ず一個はあるものだと自分は考えている。にもかかわらず、「世界で一つ
だけの花」を異口同音に賛美したがるメンタリティには寒気と怒りすら覚える。



嫉妬からはじまるいじめはよくあるケースだが、悲しいかな日本では未来の才能を埋もれ
させる枠組みがまだ働いている。逆に勉強ヲタクだけがとりえのバカが、いじめるケース
もある。



護送船団方式が崩壊しつつある今、日本は秀才を始め、勉強の不得意な子供も含めた教育
制度を見出す必要があるだろう。国益や党利党略というスケベ根性ではなく、未来の日本
を支える一員を育む大人としての責務ではなかろうか。



脱線してもそれなりの楽しみがあることを俺は見つけた。ダメな自分と対峙すること。少し
立ち止まって、太陽の光を浴びながら休むこと。無職の自分をさらけ出して、ハロワや支援
センターの人たちをはじめとしてさまざまな社会人の皆さんと会話や問答すること。
…などなど。



高校3年のとき初老の担任は、卒業間近にこう話した。



「ハンドルに遊びが必要であるように、人生も遊びが必要だ」



当時はクソマジメだったのか、俺にはおおすげぇと思えた。
今考えれば、本気でいってんのかと疑いたくもなる一言だ。
その先生は英語教師として公立高校を定年退職したもんだから、改めて俺が教職で挫折して
ことばに踊らされるなと気づいたということも原因かもしれない。



俺は"brown noser"(教師のゴマスリ野郎)だった。
だから元英語教師として、英語で皮肉を送っておこう。
"See Naples and die."(ナポリを見てから死ね、つまり
頭でっかちになるなという意味で使わせてもらう)



今まで文法中心の授業を賞賛しておきながら、いきなり会話も大事だよーという文部省の
ノー天気ぶりには非常に呆れる。ハロルド・パーマーらが来日していた頃からの英語教師で、
生きた英語を授業に提供してくれたのは何人いるだろう。



そのお陰で、自分は大学に入ってから英会話のクラスで、自分の会話力の貧困さに気づき授業
が終わってから恥も外聞もなく大号泣した。



過去に2度のテンカン発作で死ぬような思いをした。
てんかんとは、医者によればのーみそのニューロンというもんが爆発して、そのショックが
体を駆け巡って発作を起こさせるという現象とのことだ。平たく言えばの話なので、医学的
な突っ込みはご勘弁を。多分、のーみそぷーな状態に近いかも。(苦笑)



発作が起きれば、テレビのスイッチが切れたが如くブラックアウトして発作直前の記憶が
飛んでしまうのである。…気づいたら病院で点滴を受け、医者や看護士から当時の状態を
聞いて「え、そうだったの!」と驚いてしまう。



なるべくならば、体験もしないのに偏見で語りたくはないが、人の迷惑になる奴に対しては
どうしても色眼鏡でみてしまう。ま、「李下に冠を正さず」ですな。



疑われたくなかったら、クサイ場所には近寄らないことですね。
自分も経験があるので、教訓として言っておきます。本や話だけの世界に入っている人の
話を聞くとどうも自慰行為と同じに聞こえてくるのだが俺だけだろうか?



自分の人生は思えば恥と煩悩まみれだなぁとつくづく思う。
宗教とかなるべくかかわらずに、のんびり生きられればと思うが、そうも行かないらしい。
縦横無尽に広がる世界を楽しみつつ、自分の座標軸を決めて生きたいと考えている。
専門の英語も趣味の一つとして考えてもいいが、今後はわからない。