Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

教育的って何?教育関係者のおまいら答えれ。

眉村卓の「真夜中のONAIR」を思い出しました。
日替わりで3人のパーソナリティが勤める番組で、教頭先生との討論会に
なるわけですが、教頭の反駁はこうなんです。



ラジオの放送を流した時に「スピーカーから怪電波が発生してうちの生徒を狂わ
せているんだ」と食って掛かるんです。



「これはラジオ電波を受信したときのノイズなんだ」とディレクターが言っても、
聞く耳を持たない。今思えば、「非教育的アホ教師」の一言ですね。
さらに年配教師なら「老害」といえます。



旧文部省は一体どんな教員育成制度を設けてきたのよと当時の官僚や政治家に
言いたくもなります。ホント桂歌丸風に言うならこうですね。



「教育も 本ばかりでは なりたたねぇ 歌丸です」というところか。
古今亭何がしという落語家だと思いましたが、昭和天皇夫妻の前で落語を70に
して披露すると言うとき、大卒の新聞記者は彼に尋ねました。



「もし、天皇陛下の前でとちったらどうしますか?」
「そういうのを大学出の与太郎ってェ言うんです」



周りは爆笑の渦に包まれました。もちろん、高座は大成功を収め、落語界では
語り草となっているそうです。



いくら大学を出ても、知識の家に閉じこもって何もしなければ、与太郎以下です。
落語の与太郎は、ドジばっかりやって生きていてもなぜか共感されたりする。



与太郎をやってくれるプロの落語家さんがいれば、まず図書館で与太郎を読んで
から拝見しに行くのだけども…北海道では札幌に行かないと無理だよね。



とにかく日本はゼネラリストが増えすぎて、「この道の職人」と呼べる人が減って
きているのが現状である。



この前はなしたことともリンクするのだが、そこが天才を育成する方法が稚拙な原因
なのかもしれない。



かつて、東大出身の先生の講義を履修してましたが、ただのアニメオタクじゃなかった
んですね。アニメを講義にも織り交ぜて説明していたのが印象的でした。



端から見ればヲカマ系に入るかもという感じでしたが、彼の一言で印象に残っているのは
何でも教育的と言うことばで片付けていいのかということでした。



確かに、「教育はアヘンである」とも言われるように、教師が一度教育に熱が入るあまり、
生徒に危害を加えてしまうのはよくない。



この例は、きょうびの相撲界での暴力事件にもいえることではないか。
弟子を長い目で見るべき親方や、稽古の相手や人間としての見本を見せるべき先輩力士が
暴力を振るうなど言語道断。



減俸なんて饅頭にハチミツや黒蜜をかけるくらい甘い処分。
むしろ、暴力で怪我を負わせたのなら、法的な保障はもちろん、暴力の連鎖を作らない
対策を行うのは至極当然。子供のしつけじゃあるまいし、思考能力も十分ありうる弟子
たちを人間としてみていない証拠である。



他のスポーツに従事する人にいいたい。
結果はもちろん大事だし、プロになると尚更重要になる。
しかし、高校生のうちから自分の許容範囲を大幅に超えた練習を課すのはどうかと思う。
あと、罵詈雑言を浴びせるのは、戦時中のやり方だよ。



現代社会にいるのなら、どうすれば効果的に練習を展開し、技術を上げてくれるのかを
考えなさい。器具の面でもそうだし、一番大事なのは選手たちの起用法かな。
チームや選手に対して誠意と愛情を持って接すれば、周囲が変わるのは歴史が証明して
います。ファンはバカじゃありません。



むしろ、チーム運営や監督の方針に少しでも過ちがあれば、大いに怒り行動で抗議する
ものです。かつて、阪神時代の新庄が不振だった頃、応援ボイコットがありました。
日本ハムが10連敗を食らった頃、球団事務所前でケンカやいさかいがありました。
これらの教訓から学び、生かしてほしいと切に願います。