Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

障害者の理解、健常者の理解

浦河べてるの家の日常に密着したルポで「とても普通の人たち 
北海道浦河べてるの家から」がありますが、障害者に対する意識を
考えさせられる一冊です。







べてるメンバーで毎朝スーパーに掃除に行っている女性当事者の話は
特に印象深かったと記憶しています。



彼女が通い始めた時に、精神科の患者が掃除に来ていることが、店内の
噂になっていたことを、彼女自身はこのように振り返っています。

「私たちは今、従業員のおばちゃんたちの、うわさ話のいいネタになっているんだけど、でも、立場が違っていて、私たちが健常者だったとしても、きっと私たちも、その人たちのことをネタにうわさ話をしたと思うんです」

彼女の言うことももっともだと思うのです。健常者の人たちにも、
生きる辛さや苦労もあるわけだし、こちらもオダをあげていないで
そこは自分も理解しないといけないなと痛感させられました。



件の見学者にしても、「俺は障害者なんだ、理解してくれたって
いいだろう!」とふんぞり返った態度がありありとわかるのです。
たとえ、自分が同じ障害者であっても、こんな人間とは関わりたく
ありません。逆の立場でも同じことです。



テスコの石井社長もいっていましたが、障害者も半歩でも歩み寄っていく
べきだということは諸手を挙げて賛成です。折角、配慮してくる人や
企業がいても、自分のエゴを丸出しにして相手に押し付けるものなら、
早晩離れていくだけです。



だからと言って、障害者だから迷惑を掛けてしまうと萎縮することは
ありませんが、小心翼々と肩身の狭い思いをして生きることもないと
考えています。むしろ障碍は個性として理解して、堂々と生きたほうが
いいと思います。



障碍をバカにする人は、その人に偏見があるか、その人の理解が
足りないかなどの問題があるだけなのです。しかし、自分がいつまで
経っても努力しなければ、ストレスのサンドバッグにされたりする
のはあるでしょう。



自分もこのような経験があります。仕事場を牛耳るパートのオバハンや
DQN正社員に自分のプライベートを根掘り葉掘り聞かれて、散々
こき下ろされたことがあります。しかも、仕事の注意にかこつけて、
プライベートの恥ずかしい部分をあからさまにバカにされたりもしました。



今は「不機嫌な職場」が多い上に、慢性的な人不足に陥ることはよく
あるから、いつの間にか標的を探してハラスメントをするということも
起きてしまうのではないでしょうか。それにしても実に悲しいことだと
俺は思います。



障害者も社会参加が当たり前の時代になることを切に願います。