Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日で7月も終わり

夏は基本的に苦手ではありますが、8月、9月が過ぎると、やがて短い秋が来て冬になるんだなという思いもあり、夏の終わりに近づくと一抹の寂しさも感じてしまいます。

四季があってこその地球なので、感謝しないといけないのかなとも思います。

発達障害当事者の犯罪を問う

今日の北海道新聞朝刊でも取り上げられていたが、とりあえずYahoo!ニュースから引っ張ってくることにする。ソースは産経新聞。

発達障害で求刑超えた判決 評価分かれる
産経新聞 7月31日(火)1時43分配信

 アスペルガー症候群の被告に求刑を超える懲役20年を言い渡した大阪地裁判決は、量刑理由で「再犯の恐れ」や「社会秩序の維持」に強く言及した。有識者は「裁判員裁判らしく、一般の国民感覚に沿った妥当な判決だ」と評価したが、臨床心理の専門家からは疑問の声もあがった。

 弁護側は公判で「被告が殺意を抱いたのは障害のためであり、どうすることもできなかった」として、保護観察付き執行猶予を求めた。しかし、判決は「犯行の残虐性や結果の重大性から、執行猶予にする事案ではない」と退けた。

 元最高検検事の土本武司筑波大名誉教授(刑事法)は「責任能力に問題がない以上、刑罰を決めるにあたって最も重要な点は社会秩序の維持だ」と強調。「検察側の求刑が軽すぎた。裁判員の判断の方が常識にかなっている。裁判員裁判を導入した成果といえるだろう」と述べた。

 一方、発達障害に詳しい六甲カウンセリング研究所の井上敏明所長(臨床心理学)は「アスペルガー症候群だからといって、すぐに再犯に走るわけではない。発達障害には家族など周囲の理解が必要だ。単に刑務所に長期収容するだけでは何の解決にもならない」と批判した。

本当はこれを読んでる自分も、発達障害当事者としていい気持ちはしません。

被告の発達障害はどこでついた?

まず、被告がアスペルガー症候群という事実はどこでわかったかということが非常に気になりました。自分もこのニュースについては知らないのもありますが、もし引きこもってばかりで一歩も外に出たことがないのなら、精神鑑定で精神科医がつけたとしか思えません。しかも、その医者が発達障害専門医でなければ、誤診の可能性もありえます。

精神科医にも一度統合失調症と診断し、10年以上も経ってからアスペルガー症候群と気付かない人だっているわけです。前にも紹介しましたが、東京大学出身の片岡氏がそのような経験をしているのです。薬も効かないし、ライナスの毛布のようなものをいつも持ち歩いているという事実があるのに、誤診をされたのでは、本人には酷い仕打ちにもなるでしょう。

確かに、被告のような状況では、若者サポートステーション等があっても、なかなか介入できなかったと思います。サポステは主に通所して、働くための基礎体力や能力を身に着ける場所ですから、そこまでの段階ではなかったのかもしれません。

しかし、保健所の心の健康相談や、市役所の家族相談などに頼るぐらいはしてもよかったのではないかと悔やまれます。その上で、サポステをはじめ、地域生活支援センター精神保健福祉センター、最終的には発達障碍者支援センターに行ければ、今回の惨劇は避けられたかもしれないと悔やまれます。無念至極でなりません。

発達障害と量刑

発達障害者がすべて虞犯人間になるかと言えば、そうとは言えない。なぜなら、発達障碍者に積極的にかかわったことで、働いて自立するという当事者が増えたからです。

社会秩序のためには、犯罪者にはすべからく罰を与えるという考えには俺も賛成します。なぜなら、今日日の犯罪事件を見るたび、加害者の人権だけが尊重されているからです。

障害者が善悪の区別がつかない場合でも、周囲に被害が及ぶようだったら、「相手は障碍者だから」という論理で被害者を納得させることは絶対にできないと思います。

障害を持ってれば何でもやっていいんですかという理屈なら絶対許してはいけないし、被害者だけが泣き寝入りする構造になるんじゃないでしょうか?

ただ、今まで障碍者を社会の片隅にまで追い詰めて、一方的に当事者に押し付けるだけの福祉で黙殺してきた事情も大いに反省の余地はあります。その結果、障害を擬態してまで福祉を得たがる健常者が跋扈したのも事実です。(北海道の某社労士と元炭鉱勤務者の詐欺事件ですよ)

今回の問題は、司法が障害者に対してただ厳罰化すればいいというだけで済まされるものでもないと考えます。個々の障害に応じて、善悪の区別をつけさせる訓練を用意したほうがいいです。なしうる限りの訓練を施してもダメなら極刑もやむなしですけどね。

障害者と常識

俺も今、就労のための施設に通っていますが、いうなれば「アクの強い奴」が多いというのが率直な印象です。強いて言えば、自己愛や我執が激しく、ドッジボール・コミュニケーションになりやすい環境にあるというところですね。

一般就労を経験して、施設に入った人なら、だいたい二つに分かれます。一つは、相手が嫌な人間でも大人の対応ができる人。二つは、相手の障害からくる迷惑を許せなくなってキレる人。とくに後者が多いように思えます。

就労においても、この二つの傾向は如実に表れています。相手の障害を許せない人は、往々にして就労を意識した行動を取れないから、周囲から余計に自分勝手に見られてしまうのです。これは自分にも当てはまりましたし、本当に恥ずかしく思います。(今では少しずつ修正していますが)

乱暴な言い方をすれば、障碍者の考える世界と一般社会はまったく違うわけです。そこで、一方的に一般社会のモノサシだけを押し付けるのではなく、障碍者の世界観も考えつつ、善悪の区別やなすべきことを身につけさせていかなくてはならないのではないでしょうか。

アスペルガー症候群の例で言えば、ある体育教師がチャイムの音に過敏な男性当事者に対して、毎日ラジカセでその音を聞かせ続けたそうです。彼はチャイムの音が鳴るたびおびえだして、パニックを起こすようになりました。

殺人などの犯罪を発達障碍者をはじめとした障害者が犯さないようにするために、善悪の区別をつけさせたり、周囲の状況を考えた行動をさせる機会を用意する必要があります。これは彼らのためだけではなく、みんなのためでもあります。

車に乗る人間が周囲を見渡した運転をすべきなのは、周囲に危害を加えないためであるのと一緒です。障碍者を犯罪者にするか、社会の構成員にするかは、皆さんのご協力にもかかっています。

発達障碍者が悪さするたび胸くそが悪くなったり、周囲の人に申し訳ないと思う気持ちは変わりありません。だからと言って、彼らを甘やかす気はさらさらありませんのでご理解をよろしくお願いします。俺も障害に甘えていた時期があったものですから、それも反省しています。

今回はかなり長くなりましたが、読んでいただいてありがとうございました。