Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

いつも心は泣きぬれて

この頃、落ち込んでばかりの毎日であるような気がします。Excel2010 Expertには受かったけれど、コミュニケーションでの課題が出てきたりと、ぬか喜びと自己嫌悪の繰り返しで嫌になります。

今日、イイトコサガシ参加に向けて、主治医と臨床心理士に相談してみましたが、「今のあなたなら人を巻き込んで問題を起こさないようには見えない」と言われました。初めてのピアサポート行事なので、心理職の同席はないものと考えているだけに、参加後の影響が気になったわけで。

臨床心理士と久々の面談のせいか、溜まっていたものを吐き出せましたが、話が堂々巡りになると言われてしまい、少し落ち込みました。それでも、昔のように齟齬を起こして逆切れすることなく、平和的にやりとりできたのでよかったです。

「違いさがし」って?

臨床心理士の方は「違いさがし」ということばを出しました。これは、「人と自分との差異を見つけ出して、そこからその人を批判すること」です。平たく言えば、自他との比較によるあら捜しです。

それを言われて、俺も少々戸惑いましたが、確かに内心そんなことをしていなくもないなぁと考えさせられました。

違いというのはいろいろあります。出身地や学歴、障害、病気、スキル…などなど、いろいろな違いが人の数だけあります。その違いを探して、自分と他人を比較して優越感もしくは劣等感に浸るのはよくないという意味かもしれません。

「違いさがし」をやめていくには、まず自分と他人がすでに違うということから受け入れないといけないと思います。その違いを認められなければ、アイデンティティなど感じられなくなるでしょう。評価の基準が他人になってしまっているわけですから。

「あいつより年収を稼いでんだぞ!」「あの人よりも先に昇進した!」…などという思いは結構かもしれませんが、早晩燃え尽きてしまうのは言うまでもありません。まず、「人がどう評価するか」という考えよりも、自分がどんな気持ちで取り組んでいるかが大切ではないでしょうか?

「自己肯定感」や「自己効力感」ということばがありますが、まず自分を認められないとどんなに高い能力があっても、万年育成選手で飼い殺されたスター候補生のようになってしまいます。

「自分はここにいていいんだ!」「自分はやればできる!」などという思いが自然に感じられてこそ、人は能力を発揮できるのだと思います。

繰り返しますが、「違いさがし」の根っこは、自分の中にあります。自分と言う存在は俯瞰することはできないけれど、人と言葉を交わしたりすることで、自分を見つめることもできます。

今日はキツいネタを振られましたが、自分を見つめるいいきっかけになったのではないかと考えています。