Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

今日はいろいろとあってね

雪雲に覆われていた一日だったことに加え、他にもメンタル面で落ち込んだり、逆さまつ毛で病院に行ったりと忙しかったです。

右目にできた茶色い点は、しみみたいなものだから気にしなくてもいいとは言われましたが、それが日に日に大きくなるようだったらデキモノの可能性もあるから、その時はすぐに来て下さいと今日の担当医に言われました。

念のために、まぶたの内側に入り気味のまつ毛を二本ほど引き抜いてもらうことにしました。さらに目薬ももらったので、初診で3000円近くかかりました。市民病院だと1000円もしなかったんだけどなぁ…。

失敗する権利

これは、べてるの家の本で見かけた言葉です。彼らのコミュニケーションも往々にして相手にぶつかってしまうことが多く、SSTであっても激論が飛び交ってしまうようです。

コミュニケーションというものも、模範解答はあるけれど、正解とよべるものはありません。むしろ、相手によって何もかも変わってくると言うのが正直なところです。そんな状態であるにもかかわらず、「失敗したらおしまい」という見方を押し付けるのはよくないと思います。

失敗してもいいから、自分の想いを大切にし、相手に分かってもらう練習などを重ねていく方が意義のあることではないでしょうか。

健常者の間でも摩擦はあるのに、障害者の集まりならよくあるのではないでしょうか。摩擦や失敗を恐れて何もせずにいて、やがて何もできなくなることの方が、俺としては怖いです。

厄介ごとが嫌だという理由で、専門職が職権を使って、当事者の「失敗から学ぶ権利」を奪い、成長を阻害してしまうとなれば、それは大問題ではないでしょうか。

ある心理職のブログを見ましたが、「私は評論家ではなく、臨床家でありたい」という言葉は、我が意を得たりと思いました。

利用者に対してあれこれ「君は、ナントカ学で言うあれだから、こうだね」などと言うばかりで、実際の行動が伴わないのでは、評論家でしかありません。臨床家とは、利用者の立場から見れば、利用者ともに成長していける存在ではないでしょうか。

一番大事なことは、当事者が最低限失敗から学び、成長できるように助けていくことです。支援者がそのための努力を放棄して、その権利をはく奪しようものなら、職権濫用と言わざるを得ません。

支援者もたまには失敗するにも関わらず、当事者に失敗するなと言うのは実に暴論極まります。施設にいる間にたくさん失敗して学べてこそ、会社で働くようになって、しなくてもいい失敗をしなくなるわけです。互いの失敗から学ぶ環境作りを行うのも、支援者側の役目かもしれません。

繰り返しますが、もちろん当事者も施設での失敗から学ぶ努力をすべきなのは言うまでもありません。そのためには、まず双方の「失敗から学ぶ権利」を認めることから始めるべきです。