仲間外れのない環境ってあるの?
中学2年生の頃に行ったホームルームでのことだったと思います。
そこでは、クラス目標を決める話し合いをしていました。
あるお調子者のデブ男子が、声高にかつどや顔で「仲間外れのない
クラスがいいと思います!」と言ったことで、満場一致で賛成と
なり、それ以来ずっと目標は続いていきました。
しかし、俺にとっては他のクラスメイトとは違うちぐはぐな気持ちを
抱え、いつしかそれが疑問へと変わっていきました。
蓋を空けてみれば、デブ男子によるいじめ、デブ女子による罵倒…
などなど。俺は体のいいスケープゴートにさせられたのでした。
当時は発達障害という概念すらなく、生まれつきそれを抱えていた
自分にとっては「ヨーゴ」などという乱暴なくくりをされてしまい、
疎外感すら抱いてしまうわけです。
そんな思いが俺の中にブスブスと燃え燻って今でもトラウマとして
フラッシュバックが起こる原因にもなっているのです。
今の施設でも中学校時代に抱いた疎外感が甦ることもあります。
施設のミーティング等に参加している時に、先日話したようにパソコン
のみのグループというだけで、機関誌に参加させてもらえないなどと
いうこともあって、大勢の中にいても疎外感を感じてしまいます。
今日は、機関誌のサイズだけでも口出しさせてもらえることになった
ので、つま先しか前進したにすぎませんが、やはりまだまだ疎外感に
むしばまれて行きそうで嫌です。
こんなことだから、「みんな施設の一員」と言っても、「どの口がそう
言ってるんだ!」ということになるのではないでしょうか。
子供に「仲間外れはよくない!」と言っておきながら、その前に大人の
仲間外れをやめろよと言いたいですね。子供は大人の愚行を見逃すほど
バカじゃないですよ。
ワーズワースも「子供は大人の父なり」と言っていますから、今こそ
襟を正すべきです。