Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

A doggy day

昨日は、本当に惨めな気持ちを一日中引きずりながら作業をしていました。はっきり言ってしまえば、ある利用者の態度にありました。

他の人に対して「俺は愛嬌あるんだよねぇ~(ドヤッ」という態度で話しかけたりするのに、俺に対しては話しかけてこず、こちらから話を振ったら話の腰をボキッとへし折ってしまうわけですよ。いくら、重い障害を持っていると言えど、こんなに陰ひなたのある態度をされては、俺は友好的には振る舞えなくなります。そうくれば事務的に振る舞わざるを得ません。

そんな利用者が「くまのプーさん」のように愛嬌のあるキャラとして職員やメンバーからも好かれているのが、俺としては嫌でした。俺が彼らから好かれていない理由は何となくわかるんです。

俺がたいていパソコンをしているから、話しかけにくいし敬語ばかり使うからなんでしょう。そんな俺の常識は、彼らからしたら非常識と思うのでしょうね。ちょっと待てよ…なんかこれって、非常識の押し付け合い合戦のような気がしてきたなぁ。

人気者になれば、気を遣わないといけないし、俺の場合はKYだから、そういうタマじゃないよね。そんな閉鎖的な空間にとらわれていれば、無駄に悩むことも増えてくるわけで。まぁ、座談会のように、話してガス抜きできる場所があればいいんだけど。

今年度の成人座談会は無事終了!

一つ目は嫌な話題でしたが、それだけに今日の出来事が印象的だったので、順番をあえてそうしました。今回の話題は「感謝していること談義」。

6回の座談会をやることで、集まるメンバーも固定的になってきたので、昔からの付き合いのある仲間みたいに思えてきて、本当にホッとできています。お陰さまで、俺は座談会では皆勤賞となりました。やればできるもんだと、この時ばかりは自分をほめました。

司会の方も軽妙なトークで進めて行ってくれるので安心だし、こちらがしゃべりすぎたと思ったらそのように合図してくれます。何といっても、他のスタッフさんも気さくに振る舞ってくれるので、ほっとした気分になれます。

発達障害という共通するものを持っていても、ひとり一人違います。当事者の組み合わせによってはぶつかり合いが起きてしまうこともあります。それを司会がとがめるわけでもなし、じっくり見守り本人らの気持ちに任せる姿勢だったのか、感情を爆発させた当事者が後で謝罪する一コマもあったりするものです。

専門家によっては、爆発した側をとがめて、一方的に悪者にしてしまう人もいるみたいですけど(笑)

去年の初夏あたりから1回目がはじまりましたが、初めての参加で緊張しながらも話していく内に、他の参加者とも共感できるようになったり、4回目あたりからは座談会終了後の食事会に参加するようになりました。そこでも、当事者ならではの想いや悩みを共有し合ったり、「発達障碍者あるあるトーク」で盛り上がったりもしました。

暑い日も寒い日も、朝早くに起きて電車と地下鉄を乗り継いで、自宅から札幌の座談会会場まで赴いた日々が懐かしく思えます。

来年度も座談会をやるそうなので、俺はすぐに申し込みました。次からは、年度内に8回開催されるとのことなので、可能な限り絶対に出席したいと思っています。

最後まで出席して気付いたのは、みんなが「わくわくした気持ち」で取り組めることが、座談会の成功につながったことです。司会もわくわくした気持ちで進行してくれると、俺たち参加者も思わず気をよくして話してしまうんですね。

これって、施設や職場にも言えることなのかもしれませんね。

問題環境下での人間関係の閉鎖性に気づく

人は、問題の原因となる環境にずっといると、人間関係の閉鎖性にすら気づけずに、自分だけが消耗して追い込まれてしまいます。どこかで、一旦抜け出して、その状況を俯瞰しないと、自分がいかに異常な状態に置かれているかが理解できないのです。仮面ライダーで言えば、ショッカーに拉致されるも、脳改造を施される前にアジトから逃げ出した本郷猛の状態に近いですね。

例えば、今の環境でAさんが俺にぞんざいな態度を取っていて、他の人には愛嬌のある態度を取っていることで、施設の人間関係に作業で支障をきたすほどひびが入るのであれば、異常であるということです。なぜそうなるのかと言えば、答えは簡単ですよ。Aさんの好き嫌いがそのまま人間関係に反映され、その人の胸三寸で村八分*1にされることだってあるものです。

果たして、就労を目指す施設においてそのようなことは、やってもいいことでしょうか?再三再四繰り返しますが、これじゃ彼のやってることは、ブラック企業と何ら変わりはありませんよ。

うまくやれと言われても限界がありますので、俺の今いる組織の外にも人間関係を作ることでもしないと、そこの閉鎖性には永遠に気づかないまま、スケープゴートにされてオシマイという結果に終わると思います。つまり、ショッカーなどで言えば、仮面ライダーに毎回倒される戦闘員のような存在であるわけです。どう転んでもショッカーライダーという存在にもなれるわけがない。

かと言って、現状から完全撤退するわけにもいかないので、戦線を引き気味にして、退路を作っておく必要はあるのかなとも感じます。その退路が、座談会や趣味の集まりだったりするわけです。

人間関係というものは、近すぎても遠すぎても見えないと言うことが、最近になってわかってきました。あと、人間関係もたいてい変わっていくもんなんだとも感じます。学生時代の旧友・あつぽんらとも疎遠になってきて、つながりはmixiのみということになりましたが、これも仕方ないのかなとも思いました。

人間関係で悩みやすい性分だけに、最近までの出来事は、俺の心に土足で踏み入られた挙句、勝手に散らかされた思いでいっぱいでしたが、今回は「距離感も相手へのサービス精神だ」と言うことを身をもって知りました。

原則までの残り期間が少なくなってきましたので、それまでにどうするか決めるか考えています。

*1:そいつが中心になったパワーゲームの餌食って奴ですな