嫌な奴は自分の分身とはよくいうけれど
確かに、人間なら嫌な人の一人や二人くらいいると思います。よく言われるのは、人は自分の鏡であるということですが、嫌な人間を見てこちらが嫌な思いをしているということは、その人が自分や人が嫌っているものを持っているんですね。
パズルのピースに例えると、人が成長していくにつれて、嫌だと思った部分が自分の人生と言うパズルでいらないと思った部分なのかもしれません。カウンセラーの心屋仁之助さんは、自分が嫌な人間に対して感じる感情をそのように説明しています。
Aさんが「明るくてポジティブ」ということで職場で人気があるとしても、違う場所では煙たがられることもあります。その人が望んでいなくても、ある一面だけで誤解された挙句、嫌われることも往々にしてあるわけです。
どんなに自己洞察を頑張っても、普段はどうしても見えない部分が出てきます。嫌な人に出会うということは、普段見えない自分を見つめ直すチャンスなのかもしれませんね。例えばこういう人がいたとしましょう。
- 馴れ馴れしい上に、ナメた対応を取る。
- 一方的にマシンガントークを展開し、自分の知識を披露する。
- その場のノリだけで動いてしまう。
- 見下した対応を取ってしまう…などなど。
自分は馴れ馴れしくしていなかったか?ドッジボール・コミュニケーションをしていなかったか?相手の事情を考えずに動いていなかったか?…など考えると、自分自身にもそういうことを無意識で相手にしていたことはあったかもしれません。「人のふり見て我がふり直せ」という本当の意味はこういうことなんでしょうね。
この言葉を実現させるために、次のようにやってみます。
- 人には誠実に向き合っていく。
- 会話のキャッチボール、相手との距離感を意識しながらコミュニケーションを取ってみる。
- 行動と結果を考えた上で動いてみる。
- 相手との上下関係を考えず、なるべくかげひなたがないように接していく…などなど。
特に3番目は病院のカウンセラーからずっと言われていたことだけに、実に恥ずかしい限りです。ADHDと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、失敗からも学ぶことも忘れないようにしたいです。