Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

たいめいけんの3代目マスターの一言

あるルポマンガで洋食の老舗・たいめいけんを取り上げたものがあり今読んでいますが、中でも印象に残っているのは、昼食会のメニューを決めかねている初老の紳士に対して、マスターが言ったことばでした。

「うちのは何でもおいしいの!」

確かに、このことばは実績や経験に裏打ちされて初めて言えることばだと思います。閑古鳥が鳴いている店の店主がそんなことばを言おうものなら、みのもんたのようなチンピラ老人*1にディスられるでしょうね。

一度、東京うまいもの市が三越に来ていた時だと思いましたが、たいめいけんがイートイン出店していたので、早速食べてみることに。シェフ直伝の技術と味に舌鼓を打ち、北海道にはこのレベルのオムライスを出せる店はそうそうないだろうと思ったほどでした。シンプルな料理ほどごまかしがきかないだけに、オムライスの奥深さを教えてもらったという気持ちになりました。

このエピソードをどの職業の仕事に当てはめても、共通するものはあります。例えば、一つの職業でプロとして信頼される仕事をする人は、たいてい何をやらせてもしっかりやってくれるものです。しかし、ある分野になってくると専門職も必要となるのは事実としてあります。大きいレストランやホテルであれば、ソムリエを始め、パティシエなどもいると聞きます。

個人的には、マスターがあの一言を言えるのは、自分らのメニューとスタッフに自信があるからではないかと考えています。東京に行ったら、一度でいいから、たいめいけんで食事をしたいという思いが一層強くなりました。

福祉の世界ではどうなる?

精神保健福祉士社会福祉士などが、すべての面でプロとして信頼のおけるレベルであっても、障害者就労などに特化したプロもいた方がいいのです。彼らがすべてに精通していればそれに越したことはありませんが、ある分野に特化したプロもいないと、問題に対して柔軟に対応できないのではないでしょうか?

プロとしての自負を持つのは大いに結構。しかし、自分でわが身を振り返り、正していく勇気のない人はプロはプロでも傲慢な社会人でしかありません。サイコパス専門職は、そのようなことを言っておきながら、結局自分の職権を使って論陣を張り、イエスマンで周りを固めて、御しがたい利用者を排除していきました。

サイコパス専門職に欠けているのは何か?それは、利用者に向き合い思いやる気持ちではないでしょうか。例え、技術やノウハウが不足していても、それらがあればいずれかは本や経験則から、独自の支援方法を編み出す可能性があります。支援を受ける側として、そのように創意工夫をしてくれる支援者はもちろん俺は大歓迎です。

確かに、専門職は当事者の代わりになりえませんが、当事者の視座に立ってともに考えることで、生きるヒントを与えることもできると思います。かつて、サイコパスは「入ってくんな!」という札をドアにくくりつけて、話しかけるなオーラを全開にしていました。果たして、このような不逞の輩がいやしくも福祉の世界で支援者を名乗ることができましょうか?当事者に頼られることがなければ、福祉の世界では失業となりますよ。これは、俺がお世話になったセンター長も言っていることです。

ずっと考えてきましたが、大きな力のもととなるのは、仕事をするもの同士の協力する心だったり、当事者への思い入れがあってこそなんだよなって感じました。自分も気難しい人間なので、一度嫌な思いをさせられた人間をとことん嫌う癖があって、人間の好き嫌いが激しい部分があります。それでも、相手の長所を一つでも見つけたら、そこを褒めちぎるくらいの気持ちで接して行こうかなと思います。

*1:不二家への事実無根ディスりに始まり、筋肉バカ二男のコネ入社斡旋など、枚挙にいとまがないのでこう表現しました