ある意味神経の磨り減る土曜日
今日は、MOS対策のついでに、施設のハロウィンパーティーに出ることにしました。少しMOS対策をやってから、パーティーに出ました。
トイレットペーパーをパートナーの体に巻きつける速さを競うミイラ男ゲームをはじめ、ハロウィン雑学○×クイズ、おかし探しゲームをやってきました。
クイズでは前半出遅れましたが、後半は奇跡的な追い上げを見せ、1位になりました。ご褒美は出席者の拍手だけでした…orz
おかし探しゲームでは俺がゲレッパ*1だったので、これにはガクっときました。しかも、俺の苦手な奴らがヒョイヒョイと見つけていくので、癪に障るというのもありましたけどね。
職員お手製の料理を御馳走になり、友達と話して息抜きできたので、まだよかったのかなと思います。
障害者としてのアイデンティティ
かつて、通院先のケースワーカーに「周囲から障害者としてレッテルを貼られることもあるんだよ」と言われ、一度ブチ切れたことがありました。
自分でも発達障害を受け止めた上で仕切り直しをしようとしているのに、ケースワーカーからそんなことを言われたので、無神経すぎるよなと感じました。
施設長も似たようなことを言っていました。障害者として認められることで、福祉を受けると逆に社会参加しにくくなってしまう人も出てくる現象があるようです。生活保護受給者が社会に出るのが怖くなるのと似ているということで、この事例を引き合いに出したようですが…。
俺は、よほどの事情がない限り、施設には通うぞという意志で臨んでますし、就職のために必要となる技術を少しでも吸収していきたいと考えています。
にもかかわらず、施設長がこういった例を出すのは、件のケースワーカーと同じことをやっているにすぎません。むしろヤブヘビですよ。士気を下げることに他なりません。
大切なのは、自分の障害を受け止め、何ができるかを見極め、できることを増やしていくことではないでしょうか?
障害者としてのアイデンティティは、あくまでもその人自身の一部分です。障害からくる弱さや問題も当然あるし、そこを乗り越えた人はすべからく何らかの行動を起こしています。
自分の問題を乗り越えるために努力する人もいれば、自分の弱さや短所より長所に目を向け努力を重ねてきた人もいます。つまり、努力したら必ず報われるとは限りませんが、成功した人はなにがしかの努力をしているわけです。
障害者の中には、燃え尽き症候群まっしぐらの勢いで突っ走る人はよくいます。だからこそ、毅然とブレーキを掛けたり、自尊心を育てる手伝いを、支援者の皆様にはしていただきたいと願っています。障碍者もバカじゃありません。
「どこかで見てもらえている」などと感じられれば、自分自身をネガティブに追い込んでしまうことも少なくなります。まず、簡単なことからでいいんです。何か、いいところがひょっこりとでも見えたら、そこを褒めてあげて下さい。
障害者の中には、人からの褒め言葉を素直に受け止められない人も多いですが、自尊心が育ってくれれば「ありがとう」の一言も出てくると思いますので…。出てこない場合は、行動になるかもしれませんが。
繰り返しますが、発達障害も俺の一部分でしかないし、すべてではありません。ただ、俺の人生でやっかいでデカい足かせにもなるのは間違いないと思います。とりあえず、障害に甘えていると人様から言われないように、がんばります。