Issueおじちゃんの新・ダメおやじ日記

自分の発達障害や日頃考えていることを綴って行きます。

他人の価値観を受け止めること

価値観は人それぞれ違いますが、理解しあうことによって建設的な
関係もできますし、協力して大きな仕事を行うこともできたりします。



人間ですから当然感情もあります。一度、否定的な感情を相手に抱いて
しまうと、価値観の対立が衝突に変わり、骨肉の争いにまでなるのです。



いい例が過去の戦争です。織田信長と明智光秀本能寺の変も顕著な例です。
後に豊臣秀吉は「信長様も光秀のことをちっとは思いやってやりゃあ
戦なんておきなかったろうに」と言っていたそうです。



確かに反社会的行動をとる人間に対して、慈悲の視線を送るのは、
よほど人格が出来た人じゃないとできません。



彼らは彼らの価値観に従って生きていますので、誰かにそれを否定
されようものなら倍のエネルギーで持ってぶつかるわけです。



例えば、俺は威張る奴や大声でしか話せない奴は大嫌いですが、それでも
彼らは自分の価値観を持っているわけですから、俺が否定しようものなら
当然衝突や冷戦状態になってもおかしくありません。



自分の障害特性として、自己を大きく見せようとする人間に対して
ロックオン状態になるようなので、そこは少しでも減らさないといけないと
思いまして、今日から相手の価値観を受け止められるようにしたわけです。



一日やってみただけでも、苦行に等しいもんです。
しんどいことではあるけれど、自分の中で何かが少しずつ変わっていく
のを感じました。



大声で威張るようにしゃべる元ヤンキー風の男性に対して、いいところを
一つでも見つけてみようという気に少しさせられました。



自分の自慢話を延々としたがる男性に対しても、気持ちを落ち着けて
話を周囲に振るなどで対処することもできました。



自分が相手に抱く嫌な感情と向き合わされるので、正直ほとばしる怒り
などとの戦いで辟易する次第です。



俺がどこかで「負の連鎖」を断ち切らないことには、俺も周囲の人間も
「無間地獄」に叩き落とされることになります。



相手の価値観を受け止めるということは、自己洞察への扉なのかも
しれません。自分一人では「自分」という存在を確かめるのは困難
ですし、相手とのかかわりで気づくことのほうが多い気がします。